終身雇用が当たり前の時代に、世の中の人は定年まで働いてその後の余生を年金で楽しめた。
子供が生活の面倒の大半を見てくれるので、年金はあくまでお小遣いとして使うことができたからだ。
当時でも、子供が親の面倒を見なければ、年金だけでの生活はゆとりには程遠いものだったと思う。
何を勘違いしたのか、世の中の景気を良くするために幅広く資材が必要なマイホームを取得させることに、皆が躍起になった。
おかげで、核家族という言葉が社会の教科書にも載るほどに日本の家庭は可能な限り最小単位で構成され、そのことこそが、自由でゆとりのある暮らしだと思われるようになった。
育てて貰ったけど、親は親で余生を閉じて欲しい。
自分たちは自分だけの生活を楽しみたいというのが、本音になったのだ。
社会的な構造なんて、個人で憂慮する人なんかいるわけがない。
健康寿命をとっくに過ぎて、子供にも迷惑だと思われながら、死ぬに死ねない老人たちのひとりに自分もいずれなるのだろう。
そんな惨めな親たちを見て、何故自分の老後のための資金を貯めることよりも金のかかる子供を持とうなんて考える人達がゴマンといる。
それを口にすることが憚られるから言わないだけだろう。
楽しく生きているなんて人もいるだろうが、老人たちの幸福度を調べてもらいたいものだ。