2024年二度目の牡蠣

夏に牡蠣をいつもの店に食べに行って、冬になると提供される牡蠣鍋を食べたくなり、再来店。
今年は暖冬のせいで、牡蠣の生育が悪く、牡蠣鍋の提供は12月からとのことで、いつものセットで牡蠣の調理を焼きではなく蒸しで食べてきた。
美味しいことは間違いないが、牡蠣鍋が食べたかったので残念。
入善のお店は車で片道1時間半ほどかかるので、来週もう一度行こうとはなかなかならない。
牡蠣鍋は来年の冬に持ち越し。
帰りに魚津でりんご園を2軒回ってりんごと洋梨を買って帰ってきた。
能登島の釣りで訪れる民宿でも牡蠣が食べられるのだけれど、入善のお店の牡蠣を食べたら正直他のお店の牡蠣では満足できない。

離党勧告しないなら

田畑の架空党員登録。
自民党本部からも、責任説明を果たすように指導が出たようだ。
富山県連の会議に当人は欠席。
先日の選挙を労う意味もある会議なのに、薄氷を踏んで当選となった田畑が不参加なのは納得できないという富山市議もいたようだが、これはこれでスッとこどっこいなことを話している。
身内にも納得できる説明ができない状況では会議出席はかなわないと考えたのだろうが、まともな議員活動ができなくても議員職は辞さないのに、まともな説明ができない時には欠席するのだから、彼の自分ファーストは徹底していると言えるだろう。
当選したら最優先で尽力するのは、自分の不正痕跡を消し去ることで、潔白に見える議員像の構築でそれが彼のマニフェストだったとしか思えない。
だが、彼と同じくらいに恥ずべきは、彼を支持した地方議員と当選に力を貸した人達だろう。
選挙活動中には田畑の政治家の資質を褒めそやし国民に結果的に犯罪者を議員とさせるようにした罪は大きい。
米国流が正しいとは思ってはいないが、公聴会で真実を話すことを宣誓させてそこでのウソは即刻犯罪となる仕組はあっても良いのではないだろうか。
富山一区の人が声を上げなければ、他の選挙区から議員辞職を促す声を上げても良いと思う。
他の地区のことに口を挟むなと憤るのは地方議員だけで、選挙区の人はそうだよな、自分たちが辞めろと声を上げなかったのは恥ずかしいと感じると思いたい。
ヤフコメで富山県民は民度が低いと叩かれるだろう。
大きなお世話だと思う一方で、このまま国会議員を続けさせるなら、民度が低いと言われても仕方ないか。

説明責任

田畑の架空党員登録と、その党費の出処について当人は関与を否定しているが11/28の国会開催前に説明をするように党本部から求められている。
衆議院選挙では、当人の資質を問うアンケートを自民県連で自民党員に対して行う予定だったが、自民市連が反対して行われなかった。
記憶では市連支部長の数名が、我々を信用できないのかと強く反対したことと、選挙までの期間が短かったことが理由だった記憶がある。
ふざけたコメントをしているのは県連も同じ。
衆議院選挙前に、もう不正は無いのかと確認したところ無いとの回答があったので推薦したのであり、我々も被害者だと言っている。
犯罪を繰り返す容疑者に、他に悪いことはしていないのかと質問したところしていないと言って反省しているので、罪には問わないことに決めたと言うのと同じだ。
野放しにした犯人がほかにも罪を犯していたことが判明したら、信じた自分たちも被害者だと言っている。
田畑を応援して、当選させたことは明らかに犯罪者に加担したことと同義だと思わない人がなんと多いことか。
当選してから議員立法の提出がゼロの田畑議員は一体どんな働きをしたと言えるのか、全く理解できない。
富山が特別なのではないだろうということは承知している。
たまたま露見しただけだとタカを括っているのだとしたら、舐められたものだ。

夜の地震

2024/11/26 22:45に能登で地震があり、高岡市も震度4の揺れがあった。
横揺れが続いたが正月の時のように棚から物が落ちるとかは無かった。
正月の時は、最初の揺れの後に大きな揺れが来たので少し待ってから二階から下に降りた。
暗い中での地震は怖いと感じた。
TVのニュース速報を見て就寝したが揺れは断続的にあり、2時過ぎに少し大きな揺れもあった。
暫くは不安な日が続く。

2024年の大相撲最終場所

どうしても、地元力士が幕内にいないと興味が失せてしまう。
お隣石川県の大の里が大関となって初めての場所だったが、勝ち越すには勝ち越したが二桁勝利には届かなかった。
優勝したのは、大関である琴桜。
千秋楽で優勝決定戦を同じく大関の豊昇龍と取り組んだ。
何だか久々に出場最上位力士同士の優勝競り合いになったのは喜ばしいことだ。
星も14勝しての優勝なので、ほぼ文句のない場所だったと言えよう。
初場所は琴桜の綱取りがかかる場所となる。
取組をほとんど見ていなかったのだが、横綱になるにはそれなりの取組内容が求められる。
そこのところは、勝ちは勝ちじゃないかとは私自身も思わない。
立ち会いで変わったり、やたら激しい突っ張りなどで白星を上げてもやはり横綱らしい相撲とは呼べない。
しっかり組ずもうをとり、万全の体制で勝ち切る相撲を見たいのだ。

発展途上国か衰退途上国か

何かの記事で、日本のインバウンド需要がかつての発展途上国と同じだと書いていて納得した。
海外からの旅行者が落としてくれる外貨を日本の新たな産業とすると嬉々として話す政治家たち。
今ではあまり言わなくなったというか言えなくなった例え話で日本で一ヶ月稼いだらその国では1年優雅に暮らせるというのがあった。
時々TV番組でそんな例えがされるのは、観光資源しかないが、治安がそこそこ良い国でその国の最高な贅沢をこんな金額で受けられると言った内容だ。
日本との収入格差が大きくなってしまった外国の旅行者にすれば、自分の月収で1年とまではいかないが、数ヶ月贅沢に暮らせる国がまさに日本なのだ。
彼らの目からすれば、上流階級の人間が場末に落ちて、媚びへつらうことなくサービスする国が日本だと言える。
だが、発展途上国は今から発展する国を指す言葉で、さしずめ日本は衰退途上国で、発展する曲線と衰退する曲線が交わったポジションにいる国と言えよう。
衰退するのに途上はおかしいか。

ステレオタイプの米国

プライムビデオで米国ドラマを観ることが多い。
真実かどうか定かではないのだが、登場人物を見るたびに、ステレオタイプのアメリカ人を感じざるを得ない。
例えば、私が守る。信じて。というセリフが出ると多くの場合失敗に終わる。
そして、その言葉を信じた人は死んでしまうとか、とにかく取り返しのつかない目に遭うことが多い。
言葉を言われた人が、言質をとろうとすると、全力を尽くすとのたまう。
信じてくれと言った人の実力と、やろうとすることの難易度を計ることはあまりしない。
任せろという人も、言われた言葉を信じて不幸な目に遭う人も、どちらもステレオタイプのアメリカ人なのだろうか。
マクドナルド指数で日本の物価が米国よりも低いことは多くの人が知っている。
そして、賃金もアメリカのほうが高いことも知っている。
大統領選でトランプはインフレを解消すると言っている。
多くの米国人にとって、物価の高さは容認できないレベルのものとなっている。
差別的発言を取りざたすマスコミ。
だが、生活を安定させたい人たちが選択したのはトランプだった。

需給バランス

若い世代の就業定着率が下がってきている。
年齢の高い世代では、勤めている企業を辞めようと考える人は減少していく。
一方の雇用側は若い世代には辞めてほしくなくて、年齢の高い世代には退場願いたいと考える企業もあるだろう。
しかし採用が思うようにならない企業では、利益が出る間はどんなに高齢だろうが退職してほしいとは考えない。
いずれ、一般企業でも官僚のように年齢を重ねて生き残るのは難しいところが出てくるかも。
一流大企業に就職できても、何歳までにここまでのキャリアを積まなければ、関連企業に出向させられるとか。
就業受皿のセーフティネットは中小、零細企業が担うという構造も十分に考えられる。
一部の経営者は労働力も生産資源の一つとしてしか捉えていない。
それは合理的ではあるが、それが完全に受け入れられるには、自らも能力が無ければ淘汰されことを無条件に受け入れる必要があり、ダメージは蓄積されない仕組みができていないと不可能だろう。

暗い記事ばかり書いてきたが

日本は技術力が低いとか、政治のレベルも低いとかそんなことばかり書いてきているが、本心はどうなのかと自問してみた。
そもそも自分のことを棚に上げて批判しているのだけれど、どうなるのが理想で現実社会と理想との乖離はどのくらいあるのだろう。
例えば、日本の人口は増え続けなければいけないのか。
もしも、突然出生率が高くなって、産婦人科医が不足するほどの事態になったとしたら。
生産人口が増えるのは最短で15年後。
それまでは、社会保障すべき人口が増加してしまう。
もしかすると中国の一人っ子政策や、優生保護法みたいなことが導入されないとも限らない。
やはり、緩やかに人口変化は推移しないと都合が悪そうだ。

世界の最新技術が日本の技術力で頭打ちになったら。
世界はとてもつまらない、ワクワクするような未来が期待できるのか。

もしも、日本の生活レベルが世界の中で相対的に平均以下になったとしても、国が滅びることはないだろう。
外国に憧れる戦後の日本に戻るだけだ。
多くの日本人が腹をすかせて、農地を持つものが強く、小作制度が復活するかもしれない。
海外製の型落ちの電子機器や電化製品を使い、停電ばかりが起きて、公共交通機関はいつも混雑。
治安は悪く、警察は国家のためのもの。
やはり、明るい未来は見えないね。一度そこまで落ちないと復活は難しいとしか思えない。

ターニングポイント

現在の日本人で中国の技術やサービスが世界有数だと考える人はどのくらいいるだろうか。
何故こんなことを書くのか?
かつての日本の家電メーカーが世界一だったと考える人は若い世代にいるのだろうかと疑問に思ったからだ。
例えば、日本メーカーのTVを買おうと思っても選択肢は少ない。
REGZAを選んだ場合でも今では中国メーカーで、ソニー、パナソニックくらいしか選択肢は無いと言える。
かつて、日本の家電メーカーがしのぎを削っていたことを知っているのは今時の高校生では少数なのでないか。
今はまだ中国の製品に発ガン物質が基準値を超えて含まれているとか、バッテリーが火災を起こしたとかのニュースが忘れない程度に流れるので、中国製品は信頼には足らないという認識が日本人の中には存在する。
中国ではなく、韓国の家電については私の若い頃にLGのTVという選択肢は余程お金が無い人が選ぶ製品だったが、今では普通に選択される製品として認識されている。
このままだと、いつか日本製品を買うのはお金があるもの好きだけで、コスパ良い製品は韓国、中国、インドの製品というターニングポイントが訪れるかも知れない。