国内の感染者数

2/28時点で919名。
1億2千万分の919と濃厚接触する確率は限りなく0に近い。
2月末での感染者数は1000人を超えることは無いだろう。
大騒ぎしすぎていると楽観視している人も正直少なく無い。
小中学校、高校の休校要請があった。
突然の発表を批判する声が多くマスコミに取り上げられているが、個人的にはこの対応は評価している。
学校での感染増加は、国内での爆発的な増加に繋がる確率が高い。
昔よりも子供が少なくなってきているとはいえ、子供が感染するとその家庭に感染者が出て、働いている親の通勤過程や就労先での感染確率が跳ね上がる。
学校環境はクルーズ船と同じ状況を作り出すと考えれば、休校はやむなしだと思うのだが。

ジャガイモの種芋

毎年ジャガイモは育てている。
品種も色々あるが、我が家では煮崩れしにくくて、保存性の高い十勝こがねを育てている。
種芋はホームセンターで購入していたが、今年は去年のクズ芋を捨てずにとつておいてみた。
直径3センチほどの小芋も丸ごと食べていたのだが、去年は食べずに今年の種芋にできないかと考えていた。
十勝こがねは保存性が高いぶん、芽出しがかなり遅い。
ホームセンターで2月のはじめ頃に買った種芋でも3月後半の植え付け時期に芽が揃うことはほとんど無い。
結局地上部に芽が出るのは4月の半ば過ぎ位になる。
6月終わりから7月の初めにかけて収穫したいのだが、今ひとつのできになることが多い。結局芽出しの遅れが収穫に大きく影響を与えてしまう。
さて、自家製の種芋だが、殆どの芋に芽が出ている。完璧だ。
種芋は大きなものは切って使うのだが、クズ芋なので丸ごと植えられる。
小さい芋をそのまま植え付ける方が、良い芋ができるらしい。
かなり期待できそうだ。

JRのLRT化

沖縄県を除けば、どこの都道府県でもJRの支線があると思う。
ローカル線と呼ばれるやつだ。
地元の高岡には氷見線と城端線という二本のローカル線が走っている。
富山市には富山港線というローカル線があった。
富山市には元々路面電車が走っていて、駅から繁華街の周回ルートと駅と大学を結ぶルートがある。
富山港線を路面軌道に変えてLRT化したのは先見の名があったと言えるだろう。
富山港線は駅北、言い方が良くないが駅裏を走る路面電車で、元々の路面電車は駅前を走る路面電車として、それぞれが別々に運行されている。
そして、今年の春に駅の南北の路面電車が接続する。
富山には地下鉄はないがLRTがあるのだ。
高岡でも既存ローカル線がLRT化すれば、街の活性が上がるのだろうか。
それよりも、先立つものがない高岡市の財政でLRT化は実現するのだろうか。

玉ねぎ最終追肥

久しぶりに玉ねぎを育てている。
正直なところ、今まで満足できるものが収穫できたことがなかった。
去年植え付けたものは、初期段階で雨に打たれて浮いてしまったものを徹底的に植え直した。
今までの定着率が7割程度だったが今年の年明けに追肥した時には100%定着していた。
玉ねぎは最後の追肥を2月から3月の初め頃までにやるといいらしい。
このタイミングでやると玉が大きくなる。
これより遅いと、腐りやすい玉ねぎになるらしい。
今年は150玉ほど植えた。
ソラマメと混植したのでソラマメの周りの玉は影響を受けて大きくならないかも知れないが、どちらも6月頃の収穫の予定。
楽しみだ。

喉元につきつけられた

全国での発症者が出るのは時間の問題だとは思っていたが、予想以上に早く北陸での発症者が出た。
中学生が感染していたので、かなり多くの発症者が出るのは避けられないと思う。
若く健康な中学生の発症者は少ないかもしれないが、発症せずに保菌して家族に感染させているケースは少なからずあるだろう。
2月の間に感染が広まらなければ、少しは安心できるのだが、どこまで初期段階での拡散を抑えられるのかは全く予想がつかない。
石川県と富山県の西部は交流が多い。
今、電車でマスクをしている人は半数にも満たない。
マスクによる感染の予防効果は高くないようだが、それでもしないよりはマシだと思う。
マスクをしたくても、入手できない状態では仕方が無いとも言えるが、万が一自分がスーパースプレッダになってウイルスのキャリアにならないようにするのも、肝心だと思わないのか。

予想しよう

新型コロナウイルスの感染者数。
ズバリ、50万人を超えるでしょう。
死者は2万人といったところか。
到達時期は5月から6月にかけて。
日本では1万人程度で死者は5-600人。
そんなに増えないと言う人もいるでしょうが、昨年末に最初の感染者が中国で見つかって2ヶ月でここまで広まっている。
日本国内でも散発的に感染者が見つかっている。
中国の初期対応に批判が集まっているが、被害が甚大でない状況で政治家が国民から非難される施策をとれるわけがない。
あの中国でさえできなかった初期段階での人民統制を日本ができるわけがないと思うのだ。
野党も国民の非難を受けたくないから、人間の移動規制をやれとは言えない。
爆発的に流行したら、その時に政府を糾弾すればいいと思っているのだろうか。

コロナウイルス日本バッシング

実際にどの程度、海外で日本人が差別的扱いを受けているのかは不明だが、バッシングは確実に始まっている。
以前にも書いたが、日本は中国に次ぐ感染者の数なのだ。
ほとんどが、客船の乗客だから、国内での実質的な感染者数は少ないと考える向きもある。
だが、クルーズ船以外の感染者の数は84人いる。
この数が、国別感染者数の第2位の国であることに変わりはない。
この内何人の人が、感染源となっているのか未だ未知数。
今さら叩く人もいるが、クルーズ船への封じ込めは、感染の拡散防止として、ある程度評価できると思う。
今後、船を降りた人を起点に感染が拡大しなければ良いが、過度に甘い見通しをするのは、危険極まりない。
結局のところ、コロナウイルスによる肺炎に感染しても、完治するのか、致死率がどの程度なのかが問題になってくる。
インフルエンザと同じ程度だとすれば、過度な対策は好ましくない。
しかし、致死率が低くても、特定の条件を満たす人にとって致命的な疾病となるようであれば、可及的速やかに対策を取らねばならない。
為政者が愚鈍ではないか、また、野党が施策を避難するだけで問題の本質に対して全く有効な意見を言わないのか、日本の政治家が見定められる機会となることが皮肉だ。

2月22日

嫌な想い出。
社会人1年目の事だった。
当時、通勤していた会社からの帰りのこと。
その年は早くに雪が溶けて、何を考えたのか車のタイヤを冬タイヤから夏タイヤに交換していた。
当時の冬タイヤはスタッドレスではなくてスパイクタイヤだった。
仕事が終って帰ろうとしたところ、会社の先輩が飯に行こうと誘ってきた。
給料日前だし帰れば良かったのだが、数名で食事に行ってしまった。
夜の10時頃に帰宅することになったが、天気が晴れて幹線道路の濡れた路面がブラックアイスバーンになってしまった。
ゆっくり走っていたのだが、100m位先の信号が黄色に変わった。
車は全くと言っていいほど走っておらず、寂しい状態。
ブレーキはアンチロックブレーキなんてものもない。
ブレーキを踏むとタイヤがロックしてスピンするた思い、エンジンブレーキをかけるために、ギヤを1段落とした。
当時、FRのマニュアル車に乗っていた。
クラッチを踏んで、ギヤを落として、クラッチを繋いだ時に悲劇が起こった。
エンジンブレーキでタイヤがロックしたのだ。
アイススケートのように車がユックリとスピンし始め、縁石を乗り越えて交通標識にぶつかって止まった。
幸いにも当時は多くあった公衆電話が近くにあり、自宅の父親に冬タイヤを持ってきてくれるようにお願いした。
車の中でグラミー賞のニュースが流れていて、30年以上経った今でもこの時期にグラミー賞が発表されることは記憶に残っている。

本を忘れた

ほぼ毎日、バスや電車の移動時間、休憩時間に図書館で借りた本を読む。
ペースとしては、一冊読むのに大体1日か2日。
週末は読書しないので、1週間で3冊から4冊といったところだ。
ある日、読書する本をカバンに入れ忘れた。
そういえば、小学生の頃は教科書を忘れると隣の席の子に教科書を見せてもらっていた。
いつもは少し離してある机をくっつけて見せてもらっていた記憶がある。
私だけかも知れないが、中学に入ってからは教科書を見せてもらっていた記憶がない。
何故だろうと考えていたのだが、別のクラスの部活の友達に教科書を借りていたからだと思い出した。
そういえば、体育のジャージとかも貸し借りしたなぁ。
多分今では考えられないような話だ。

仕事の付き合い

自営での勤務なので、基本どこに行っても会社の同僚といったものはいない。
同じような人はあまりおらず、bpと呼ばれる人達も、少なくとも2人以上いるのが普通だ。
先日から、3名ほどのbpが直近の発注元の会社に参加した。
折角なので親睦会をやりましょうと、誘いがあったが、不参加とすることにした。
コロナウイルスで大騒ぎしているとは言え、富山県では発症者や陽性の人が見つかっていない。
不参加の理由は、この3人のうち2人は挨拶をしないし、最近になってようやく挨拶するようになったひとりも、居眠りをしているからだ。
まぁ、請負であれば、眠ろうがどうしようが、発注されたものをキッチリと納品できればいいので、ひと月後の納品時期が楽しみだ。
そもそも、新しいメンバが来たら、簡単に挨拶させるのがリーダーの仕事だと思うのだが、リーダー社員がいない。
自分のときにはリーダー社員がいたが、同じ会社でも金沢と富山で管理が分かれていて、金沢のリーダーはいなかったので、金沢管轄の自分が皆に紹介されることは無かったのだろう。
仕事の付き合いだけではあるが、社会人としての教育というのは大切だなぁと思わせられる。
結局、いま挨拶すらしない従業員しかいない会社はそんな従業員を、今の私の年齢まで、提案できるのかと言う話だ。
とは言っても、面談の時だけうまいことが言えれば、何となく受け入れてもらえる雰囲気があるのも否定できないので、挨拶なんて目上にだけすれば良くて、あとは不要なんて考え方の人間が増えるんだろう。
挨拶しない会社がクソなのではなく、挨拶する会社ができた会社だと思えば良いのだろう。