レジ袋有料化

自分の子供の頃、個人商店で駄菓子などの買い物をしたときには、紙袋に入れてくれた。
紙袋は濡れると破れやすくなり、強度も高くない。
レジ袋が出始めた頃には、水濡れにも強く、強度もある。
小さくたためば嵩張らない。
いいこと尽くしの包装資材だ。
それがゴミとして問題になってきている。
海洋のマイクロプラスチック、燃焼で発生するダイオキシン。
江戸時代のおしろいには水銀や鉛などの有害物質が含まれていた。
今では考えられないし、誰もそんなおしろいは絶対に使わない。
戦後の昭和ですら、アスベストを使った建築物の恐ろしさを理解していなかった。
世の中、あとになってから、それはありえないだろうっていうものが出てくる。
レジ袋が、近い未来にそうならないとも限らない。
お金をとれば、使用量が減るというのは見事なまでにリアルな現実だ。
富山県では、2013年からスーパーでのレジ袋は有料だった。
エコバッグを持ち歩くことは、県民にとって常識となりつつある。
それでも、コンビニだったり、ドラッグストアだったりの一部の店舗では無料でレジ袋を提供していた。
それが7/1からは例外なくレジ袋が有料になる。
自然界で分解される素材の袋もあるが、強度やコスト面で従来のレジ袋には劣る。
有料化したところで、僅かな金額であれば払うことは何でもないという人も
いるだろう。
レジ袋の製造メーカーにとっては、死活問題。
物がなにか要らなくなれば、仕事が1つ以上無くなってしまう。
哀しい現実です。

口癖

無意識のうちによく使ってしまう言葉は誰にでもあることだろう。
有りがちなのは、えっと、じゃないでしょうか。
かく言う私もついつい口にしてます。
でもよく考えてみたら、えっとって言うのは、考えがまとまっていない時に使っている気がする。
二の句がすぐに継げないという時に、えっとと言ってしまうのだ。
他人の口癖で気になったなぁというのをいくつかあげよう。
結局。
この言葉を連発する人は結論を言えていない。
結局あなたは何が言いたいの?

なんとかのほうで。
私のほうで対応しますとか、何をゴマカシたいのか聞きたくなる。
私が対応します。だと、私がしなければいけないが、私のほうで対応しますと言えば、私がやるとは限らないってことか。
責任の所在をフワッとさせたいのだろうなと思う。
何か前向きな口癖とか無いものか。

2020年の釣行

今年も半分終わろうとしているが、今年の目標釣行回数を立てておきたい。
2019年は10回を目標にしていたが、そんなには行けなかった。
何を何回釣りに行くかと考えれば、キスが3回、ハゼが2回、カワハギが1回で合計6回がいいところだ。
とにかく、夏の釣りは辛い。
今年はキスを一度釣りに行ったのであと2回くらいか。
キスは寿司にして食べる。
ハゼは甘露煮が良い。
カワハギは刺身と鍋。
キスは夏、ハゼは10月、カワハギは11月。
そうして、今年の釣りシーズンが過ぎていく。

第2波だろ

東京都でのコロナウイルスの新規感染者が50人を超えてきた。
これは、濃厚接触者に対する積極的な検査実施の結果だと、官房長官は発表している。
だから、どうだと言うのだ。
腐ったミカンを見つけ、その周りのミカンを調べたら、やっぱり腐ったミカンがありました。予想通りの結果です。
だから、ミカン全部が腐る心配は無いですと言っているのか。
ならば、感染者数の発表など辞めてしまえばいい。
今日は感染者がいました。
あとは、国民一人一人がどのように行動すべきかは考えなさい。
どのくらいの感染力があって、どのくらいの重症化で、どのくらいが死ぬ。
どんな環境で感染しやすい。
必要な情報は第一波の時に提供しましたから、これからどのようにするのかは国民の判断に任せます。
で、良いじゃないか。
国民の審判を問う選挙だって丸投げされても容認するのだから、自分の命や財産は自分で守れと言われてもそれは大した責任放棄ではない。
その代わり、感染リスクを避けるために業務を行わない議員には、一般国民と同じだけのペナルティが必要だろう。議員報酬の減額、期末手当の不払い、リストラに当たる議員資格の剥奪。
不公平感は拭えない。

続、東京都知事選挙

下馬評では、現職の小池さんが圧勝するらしい。
コロナの第二波に対してどのような対策を取るのかという、公開討論がされたそうだ。
女帝の答えは、自衛を求めると言うことらしい。
役所はアホみたいに、自助、共助、公助の3助を語る。
1番機能すべきは自助。
その次が共助。
公助は最後らしい。
まぁ、セーフティネットと呼ばれるのが公助だと考えれば当然のことだ。
女帝は東京都には金が残っていないことを知っている。
そして、東京という都市を生き物だとすれば、体が無くなっても頭さえ残れば復活するモンスターだと思っている。
つまり、体が自衛できずに腐り落ちても、頭、すなわち都政が残れば、血肉となるお金は企業という蛇口が日本中から東京の頭を残すために集めてくれると考えているのじゃないか。
オンラインで高度な教育を成立させることが難しいと考えている限り、東京は日本における搾取者であり続け、その他は全て東京都の植民地であり続ける。
搾取者のトップは、皇帝、女帝なのだ。
皇帝選挙は間もなく始まる。

家族葬

新聞のお悔やみ欄を毎朝チェックする。
自治会長だった時の習慣だ。
以前からすこしは、葬儀は終了しましたと言うのはあった。
家族葬を済ませましたということだ。
これがコロナウイルスでの自粛期間には殆どの葬儀が家族葬で行われていた。
葬儀場での通夜や葬儀の案内を見ることはほとんど無かった。
最近では、家族の葬儀に際して弔電や花輪などを、手配する企業は減ってきている。
慶弔費として現金の支給はあっても、葬儀場で喪主の勤めている企業の花輪などを見ることも少なくなってきている。
寿命が伸びたおかげで、喪主自身が定年退職してしまっている場合もあるのでなおのこと、企業の名前での花輪は減少している。
業界も家族葬に対応するため、小規模な葬儀場を増やしてきている。
喪主として葬儀を執り行うことなど人生において数回だ。
一度も喪主にならない人もいるだろう。
葬儀屋も生活があるので、一般参列のある葬儀と家族葬での費用の差を少なくする工夫はしているだろう。
世知辛い世の中だ。

業務スーパーブーム

テレビ番組で取り上げられることもよくある、業務スーパー。
量が多くて、値段も安い。
家計の節約には最適なお店だ。
何でもかんでも業務スーパーが安いからと言って、購入するわけではない。
いくら安くても、美味しくないものは食べたくない。
それに可能な限り、国産のものを選びたい。
とは言っても、国内メーカーの食品でも中国産の野菜を原料にしているものも多くあるので、中国産は全く買わないという訳でもない。
だが、こんなこだわりも収入があるからで、年金生活になったら、とにかく安いモノを買うしかなくなるだろう。
でも、買い物難民になると業務スーパーに行くことすらままならなくなる。
いつの間に、日本は国民年金で生活ができなくなってしまったのか。
孫にも何もしない。外食はしない。
太陽と共に生活し、ムダな水道光熱費は使わない。
そうすれば何とか生活ができるのだろうか。
病気やケガをしたら、ひたすら自然治癒を待つ。
かと言って、病気やケガのために特別な食事もできない。
そんな生活で生きている意味などあるのだろうか。
そして、年金をもらうことが無いのなら、年金を支払う意味などあるのだろうか?
業務スーパーで節約などとカッコいいものでは無く、死活問題としてどうするか。
最低最悪の問題だ。

コストコのラップ

以前から気になっていたコストコのラップを購入した。
幅が約30センチで長さがなんと900メートルもある。
そうとうコストパフォーマンスが高い。
弱点は耐熱温度。
80度までなので、レンジで使うのは難しい。
結局レンジで使うために耐熱性の高いラップも必要になりそうだ。
コストコで買った肉の小分け冷凍には十分使えるし、余ったおかずを冷蔵庫に保管するくらいには使える。
レンジでも、調理ではなく温めならばもちそうだし、ムダにはならないと思っている。
このラップは重たい。
900mもあるので、日本製のラップのように本体を持ってクルリンパとはカットできない。
ラップのケースにスライドカッターがついている。
これがなかなかのスグレモノ。
刃でケガをする恐れもなく、チャンとラップがカットできる。
何年かかって使い切るか、3年位かな。

残念、ジャガイモ

ジャガイモの十勝こがねが枯れてきたので、トウヤを残して収穫しようと思い、掘ってみた。
やはり種芋じゃないもので育てようというのは、甘かった。
キチンと芽出しした時期が遅く、イモは小ぶり。
おまけに、雨にあたったせいで種芋が溶けてきているものもある始末。
トウヤは大丈夫かと思い、1つ掘ってみた。
見事にほとんどの芋が割れている。
割れていないものはほとんど無い。
これ以上放置すると、割れた芋は腐って溶けて始末に負えないので、全て掘り出すことにした。
植えた元の種芋の倍くらいの芋しか収穫できなかった。
やはり、芽出しの時期がそれなりに早くて、安定した収穫が望める品種が良い。
来年はメークインかな。

休むとき

個人事業主なので、残業という概念もないし、休日出勤とかの概念もない。
それでも、所々の事情で休みを取ることがあるのだが、勤怠の予定を伝える必要があり、そこには、私用全休とするのだが、いつのまにか、私用年休となって発注元には連絡される。
年休なんてないんだけどなとか思いつつ、適正な価格での作業であったりを目指すために休む。

ドラマ派遣の品格でお時給の分はしっかりと働きますとか言っているが、妙に納得して見入ってしまう。