結審してしまった

徴用工が強制連行されて、労働させられていたことに対する裁判が原告勝訴で結審した。

最高裁での判決なので、上告はない。
企業が原告に賠償金を払わなければいけなくなった。
こうなってしまったら、日本政府が遺憾の意を示してもどうにもならない。
これで判決が覆るようだと、韓国の司法は形骸化してしまう。

賠償問題はクローズしているとの認識は国家賠償だけの問題で、個人損害は別であるというのが、韓国で判例となった。

となると、現在審議されている同様の判決は判例に従う。
さらには上告さえ認められない事態も起こりうる可能性がある。

労働していたのが軍需工場だったとして、徴用を行ったのはその企業だったのか。
労働に対する対価が支払われていたのか、対価が正当なものだったか。
対価が正当なものだった場合、企業は善意の第三者であり、被告は徴用を行ったものになるのではないか。

そして徴用を直接行ったのは実は日本人では無かったのでないか。
双方合意に基づく取引であったという証拠があれば、こんなことにはならなかったのにねぇ。

被爆に関する訴訟も行われているようだけど、その被告は原爆投下した国じゃないの?とか思ってしまう。

今なら日本の方が国力が高い。
しかし、20年後とかだと韓国の国力の方が高い可能性もある。
恐ろしい。

年賀状

年賀状を出すのは、私の世代では当然みたいなところがある。

とは言っても、パソコンで表書きも裏書きも印刷するだけなので、どれだけ華美なデザインであっても味気無い。

年賀状に必ず手書きで一言が添えられているものもある。
あぁこんな筆跡だったのだと思いながら、相手の顔が思い浮かぶ。
もちろん何十年も会っていない相手も多く、今ではすっかり風貌が変わってしまった人もいるだろう。

学生時代の同級生は、卒業後に数年間年賀状を送って、返事が来ない人にはこちらからも年賀状を出さなくなっており、すっかり疎遠になっている人もいれば、毎年欠かさず年賀状のやり取りを続けている人もいる。

今や疎遠となった彼らは年賀状自体、誰ともやり取りが無いのか、会社関係だけはやり取りをしているのかわからない。
数十年も経てば、現住所だって変わっている可能性が高いし、実家ですら届かなくなっている可能性もあり、今さら年賀状を出しても受取人不在になるものもあるかも知れない。

やがて、現役世代でなくなった時に自分も含め、どのような交流が残るのだろう。
同窓会の一体感がほしいと思うわけではない。
損得勘定なしの付き合いができていた頃の知人との交流が途絶えてしまうと、何だか人間が矮小になった気がしてしまう。

たかが年賀状、されど年賀状。
今、細くても繋がる縁は切らずに続けたい。

外国人コロニー

外国人の労働者受入の法案が可決された。
個人的に最も不安なのは、治安問題だ。

外国人労働者の取り纏めはおそらく、外国人が行う。
そこには金が集まり、力を持つようになる。
外国人によるコロニーができることも想像できる。

任侠の方たちには既に外国の非合法集団に対しての大きな抑止力も抑止の必要性もない。
外国人たちが非合法なことをやったとしても、警察は取り締まることがきちんとできるのだろうか。

外国人コロニーでは子供たちも生まれ、日本に根付いていく。
日本で生まれれば、日本人として国籍を取得でき、いずれは彼らの親族までもが日本のセーフティネットで救うべき対象となる。

国民と民族を切り分けて考えないといけない時代になる。
数が集まれば、地方議会の議席数もとれるようになる。
多民族国家への舵取りがきられたのだ。

コルセットがとれた

夏にヘルニアの手術をうけてから寝るとき以外はずうっとお世話になっていたコルセットがとれた。

3ヶ月つけ続け、夏は汗で蒸れてカブれたようになったりしたが、ようやく外れた。

3ヶ月経つと、コルセットは外さないといけない。
コルセットを着けた状態だと、腰の筋肉が弱っていくので、速やかに外さないといけないのだそうだ。

しかし、思った以上にコルセットを外すと寒い。
しかも寒いと筋肉がこわばり、微妙に痛む。
今年の冬は雪が少なくなるように願う。

セイタカアワダチソウ

ご存知の方も多いと思います。
黄色い花を咲かせる外来植物で、川原や空き地で見かけるが、他の植物をまさに、駆逐している。

しかし、日本の植物も負けていない。
海外で現地の植物を押しのけて繁殖しているヤツがいる。
何を隠そう、ススキだ。
秋の風情ともいえるススキは海外では憎まれものの外来植物なのだ。

今、国内ではセイタカアワダチソウに混じってススキが生えている場所を多く見かける。
良かったら気をつけて経年変化を見ていて欲しい。
徐々にススキがセイタカアワダチソウを駆逐していくはずだ。

この生命力を日本の将来に重ねられるようにと願う。

ワークマン

ご存知作業用品のお店です。
機能重視の作業用の衣料品に注目が集まっている。

今は滑らないスニーカーが女性に人気があるそうだ。
元々は調理場での使用を想定したものだが、滑らない安全性から妊娠中の女性にもオススメらしい。
かなり品薄らしく、受験シーズンにはゲンカツギと転んで怪我をしないようにと、さらなる需要があるだろう。

デザインが最重視されているわけではないが、無難なものが中心だから、今の時代にも受け入れられる。
防寒ジャンパーを1枚購入してみた。
作業着感はあるが、軽いので今からの寒い時期には期待している。
軽くて安価な防寒着ならユニクロダウンがあるじゃないかと言われるかも知れない。
実際に着用すると、これは良いぞ!と思うのだろうが、何だか選びたくない。
理由は自分でもわからないんだけどね。

議員の資質と大臣のそれ

今国会でサイバーセキュリティ大臣がパソコンを使っていないことに、野党議員が執拗に質問している。

じゃぁ防衛大臣は自衛官か海外での傭兵体験も無いのにやっていいのか。
農林大臣は農業、林業経験者で無いのにやっていいのか。
法務大臣は司法試験に合格してなくていいのか。

そもそも国会議員は誰もが大臣になるかも知れないのだから、コンピュータに詳しくて、司法試験に合格していて、自衛官か傭兵経験者じゃないといけなくなるんじゃね?

国民だって、実務は官僚がやってくれると思っている。
官僚排除すべし、ってやった政党の質問。
実務能力の低さを災害対策で露呈した政党の質問。

全面的に専門知識が皆無な大臣を容認はできない。
論功行賞人事は悪しき慣習だし、できないことを引き受ける議員が責任を取るのは勝手だが、損害を被るのは国民だ。

大して役に立たない国会議員はもっと少なくしろって話しになるのかな。
国会議員が半分になったら、今の政権政党はもしかしたら9割ほどの議席を取るかも知れない。
そんな事態になっても国民が危機感を持たず、力が拮抗した政党を支持しなかったら、もっと格差が広がって、ある意味秩序が保たれていた江戸時代みたいになるかも。

栗のような

栗のようなカボチャ。
とか、
栗のようなサツマイモ。

美味しそうに思えるが、糖度だけでいえば、栗の糖度はそれほど高くない。
甘栗で糖度10。
サツマイモだと、品種によっては糖度40。
カボチャでも平均で10。
つまり、栗の価値がカボチャやサツマイモより高いと感じられるのは糖度ではないということだ。

栗は野菜か果物かといえば、果物に分類される。
サツマイモとカボチャは野菜だ。
野菜が果物のようだと言われることに価値がある。
まぁそんなところだろうか。

プログラム言語

絶えず新しいプログラム言語が出てくる。
流行りというか、そういうのもあって、家電の新製品ほどではないが、使っているシステムを陳腐だと思わせる為なのでないかと勘繰ってしまう。

言語が変わろうがどうしようが、プログラムの基本構造は順次、判定、ジャンプしかない。
ジャンプというと、それは良くないコードだと言うかも知れないが繰り返しだとか関数呼び出しなんてジャンプ以外のなにものでもない。

新しい言語ではなく、プログラムの実行をつかさどる部分だけが進化すれば済む話だとは思うのだが、結局はその部分の開発もプログラム言語なのだ。

不具合の無い開発が簡単にできるようにするというのは永遠で最終的課題だが、そこに至るためには、天才の出現が必要だろうなぁ。

家族構成と年金

以前は3世代同居が当たりの時代があった。
私が小学生の頃の社会科の授業で核家族という言葉が出てくる。
その時には、核家族化が進むことで、社会がどうなるか書かれていなかった。

家に祖父はいなかったが、祖母の年金は祖母の小遣いであり、祖母の生活費ではなかったと思う。

食費にしろ、光熱費にしろ、祖母の年金ではなく父の給与でまかなっていたはずだ。
年金は孫への小遣いだったり、たまにかかる病院のお金だったりだったのではないかと思う。

今の核家族化した世の中では、年金は生活費となる。
必要な金額が昔とは違うのだ。

生活を構成する人員を増やして一人あたりにかかる金額を減らすしかない。
せめて、集団生活する場合は基礎年金部分の支給が無い代わりに死ぬまで国が生活保証することを選択するとかできないものだろうか。
積み上げ年金部分は法定相続人に課税して支払うとか。

とは言っても、ほとんどの人間なんて10年後はおろか、1年後のことも考えない生き物なのだから、目の前の問題しか対処しようとしないんだよ。