車のガラスが凍るような朝、救急車の出動が増える。
布団から出て、トイレに行ったら倒れるとかそんなことが多いのだろう。
自分の親も、妻の親も高齢者だ。
幸い、妻のところは妻の姉が同居。
自分は両親が健在なので、まだ安心できる。
だが、どちらかが亡くなったら痴呆も心配だし、寒い日も暑い日も心配だ。
両親とて、二人でいればまだ心強いだろうが独り身となるといろいろと不安なことも増えるだろう。
人生100年の時代と言うが、親世代でない我が身に照らせば良い人生を過ごせるのだろうか。
独居老人の孤独死が当たり前になってきて、見守りサービスが大人気になったとしても、死んだことがわかるのが早まるだけ。
人間、生まれてくる時も死ぬ時もひとりだというが、そんな風に割り切ることができるのか。
野垂れ死、昔ならば住む場所もなく転々とした者が道端に力尽きて死んでしまうことを言ったのだろう。
現代では孤独死。
しかし、この孤独死すらも、雨風に晒されずに死ねたことが救われるという時代がくるかも知れない。
老人になって、住む場所を無くしてまさに野垂れ死にする人が増えてしまう可能性も少なくない。
亡骸にカラスが群がり、あぁ死体でも在るのだろうと驚かなくなる。
もしくは、カラスを追い払い、何か金目のものは無いかと死体から身ぐるみはぐ人がいたり。
そんな世の中になるわけないなどと本当に思えるだろうか。
少なくとも1600年代の途中まで、日本でも人は人として扱われることなど無かった。
米国にしろ、奴隷がいてそれは人としては扱われなかった。
それほどまでに、日本という国は世界が羨む国でなくなってきている。
その話はまた別の機会に。