そんなものなの?

保守分裂選挙となった高岡市長選挙。
個人的には、40億の構造的赤字を5年間で解消するのを、累積赤字の解消みたいに広報するのにウンザリしていたので、改革前にたれ流していた赤字と未だにたれ流している赤字の累積金額を発表しろよと思っているので、首長が変革を起こす可能性にはとても期待してしまう。
新聞には93%の人が関心を持っていると書かれていた。
だが、意外とこの選挙に対する期待値というか、興味が低いことがわかった。
まず、候補者が誰だか知らないとか言う人がいる。
地方自治が財政破綻して回復目処がなくなったら瀕死の町としてどうなるのかを想像できていない。
無料の行政サービスはほぼ無くなる。
市の予算での公共工事は激減する。
市の職員は削減される。
市が運営している事業の公共料金は高くなる。
地方税が上がる。
財政破綻した市から出ていける人はまだ良いだろう。
財政破綻した町に住みたい人などいないので、固定資産は処分不可になり、ずっと固定資産税だけを払い続けなければいけなくなる。
高齢者だけが住み、不便で、全てが割高、医療機関も、買物できる場所もない、死んだら火葬費用すらバカ高くて支払えないなんてことにもなりかねないと想像することすらできないのだろう。
皆が政治に興味を持つなんてことはあり得ないと思っている。
どんなに悪い生活になったとしても、人は変われないし、変わらない。
今の位置から動いても良くならないと考える。
町に感謝することもなければ、あわよくば資産価値が高まらないかとかその程度の期待だけで、誰かが抜け駆けしないかだけに目を光らせながら、声の大きな人に合わせて口パクで話す。
そんな烏合の人たちを無視できて、個人としての価値が認められ、高められる町ができれば、人口総数か減少したとしても本当に優秀な人材が集まるのだけれど。
年齢に関係なく、優秀な人が集い、僅かな人数で税収を増やし、費用がかかっても一流を手に入れることができる町というのも、1つのコンセプトだと思うのだけれど、皆で手を繋いでいればどこに向かおうと怖くないというのが大多数であり、その意志が反映されるのが種の原理なんだね。