選挙の後には、しこりを持たずに手を携えてなんてことを言うけど、どうなんだ。
しこりを持つのは負けた側で、勝った方が大きなしこりを持つことは考えにくい気がする。
もちろん、戦っている最中、勝った方に負けた方がさまざまな嫌がらせ、誹謗中傷をしていており、勝った方は実は敗戦濃厚からの逆転だとすれば、勝った方は負けた方から今までのことは水に流しましょうと言われても、お前が言うなと思うだろう。
もしも、明確な方向性を持って運営を進めたいのなら、まずは敗者側の粛清が必要なのは自明の理。
例えば、戦国武将が争い敗者とそれを支持したものたちの粛清をしなかったら、いつまでたっても小競り合いばかりが続いて江戸幕府はできなかったろうし、明治維新も起きなかったろう。
結果的に日本は欧米列強に植民地化されて、国民は貧しいスラムに押し込められていたかも知れない。
負けた方が粛清されないならば、勝つまで勝負を挑めば良い。
一般の人から、惨めだとか見苦しいとか思われようが勝負を仕掛けて、誹謗中傷、嫌がらせをすれば良いのだ。
勝ち馬に乗らなかった者が勝者と同じ処遇のまま、シコリを抱えてのうのうと大きな口を叩くのが、ワンチームだとは思えない。
そんな議員を粛清するための権限が無いのは表向きの話だけにしてほしい。
本当に高岡を前に進めるなら、来る10月の市議選で反対に回った対立候補の対抗馬を立てて、進めるべき市政を実現できるようにして欲しい。
是々非々など口先ばかりの職業議員を減らすべきで、自分の主張を共に実現すべく行動できる議員以外は要らない。
議員活動での視察報告でまるきり同じことしか書けない議員しかいないようでは、議論など起こりようもない。
具体施策の1つとして議員定数削減をまずは推し進めていくことが重要だろう。
旧態然とした産業界が今回の市長選で当選者の支援に回らなかったことは、リソースの選択と集中が必要な状況では、新たな産業への支援を強めたい自分にとっては願ったり叶ったりだと言い切るくらい、強い市長であって欲しい。