昭和の文化からの自動車の未来

すでに平成元年生まれが34歳とかになる。
昭和の時代は休みは日曜日だけで学校も土曜日は午前中はあった。
半ドンとか言ったがその時代よりもっと前に、お昼にドンと花火だか太鼓だかが鳴らされて、その時刻に学校が終わりになるので半ドンと言ったとか言わないとか。
日本人は働きすぎとかで、休みましょうとなったのは、欧米が日本製品の価格を高くさせて国際競争力を下げさせようとしたのが真の目的だとかいう人もいる。
欧州や中国が自動車のEVを主流にしようとしているのは、真意ではないと見る向きがある。
F1でかつてHONDAが無敵を誇っていた時にエンジンのレギュレーションを変更したのが、欧州なのだから、妙に説得力がある。
電気自動車では、欧州メーカーの方がアドバンテージがあるから電気自動車を主流にして規格を決めて市場を制したいというのが狙いだろうか。
しかし、駆動がモーターになってしまうと自動車メーカーよりも電気メーカーに一日の長があることは明らかだ。
車体の開発は電気メーカーにはできないだろうと考えているなら、大きな間違いだ。
電気メーカーは電車を作るだけのノウハウがある。
自動車の車体が作れないというのは、ごく一時的なことで、すぐに電気自動車の開発、発売に着手し、自動車メーカーがアップルの部品供給工場に成り下がる可能性はかなり高いと考えた方がいい。
良い例がテスラだ。
テスラは自動車メーカーではない。
電気機器メーカーだ。
内燃機関を作れないメーカーが自動車を組み立てて販売しているだけだ。
欧州の自動車メーカーも燃料自動車を作りたいのだ。
だが、ガソリン、ディーゼル以外の燃料エンジンではTOYOTAの水素エンジンに圧倒的なアドバンテージがあり、そこで勝負をすることはできない。
それならば、自分達に有利な電気自動車を主戦場にして、TOYOTAの体力を奪ってからかつての日産のように傘下に収めてしまいたいと思うのが、まともな経営者のとるべき戦略だろう。
どこの国も、自国以外は搾取の対象以外の何者でもない。
立場が苦しい時は、モラルや慈愛を持ち出して攻め滅ぼされないように立ち回り、立場が強い時には徹底的に搾取する。
このことが悪いとは、正直全く思ってはいない。
強くないものは残らないのが歴史であり、ルールメーカーが強者なのだから。