富山県民は富山県を薬都と考えている人が少なくないと思う。
何より、先用後利の置き薬は戦国時代にあっては諜報活動の一環だったろうし、薬を通じて全国を知ることからも薬都と呼ぶことには疑念を挟む余地はない。
そんな薬都で連続した製薬会社の不正は、薬都としての役割を終えたと言えるのだろう。
富山県は銅器の町でもある。
薬にしろ、銅器にしろ、戦国時代のトップダウン政策が重要な産業として長く根付いていたと言える。
現代で主要産業を産み出す力が地方都市にあるか。
トップダウンの施策で実現できるかと言うと大いに疑問だ。