結局世の中を変えるのは一人の天才

日本という国、全国民を豊かにするには何が必要か。
もちろんそれは一つだけではなく、多岐にわたる多くが必要だ。
食料もない、工業資源もない、あったつもりだった技術力ですらアドバンテージはほんの僅かだ。
今の日本が世界に誇る技術力とは、エンジン自動車と農業の種に関するもの以外に何かあるのだろうか。
日本の自動車が世界に誇る技術はどのよえに産まれたのか。
この技術は生産の中から産まれたものだと勝手に考えている。
ただし、技術が産まれた背景には国民の基礎学力と勤勉さがあるとも考えている。
生産現場から産まれる技術は、目に見えるものからしか産まれない。
AIに関する技術は今からますます成熟していくが、日本から画期的な技術が発信される確率はかなり低いと言わざるを得ない。
日本が必要とするのは、資源を必要としない知的技術だろう。
仮に日本では産出されないレア資源を使って革新的な技術を日本が発明したところで、それが有意義であればあるほど、資源を持つ国がその技術を勝手に使い恩恵を独り占めするだけだ。
ルール違反だと騒いだところで、技術を具体化するための応用技術が転用不可能なものでもない限り、技術は盗まれて勝手に使われる。
そんな技術が日本から産まれる土壌はあるのだろうか。
大学のランキングが技術力の裏付けとなるとは言い切れないが、技術を農作物に例えるならば、種は人材で土壌は学校であり企業だ。
優秀な人材が大企業に優先的に取られてしまうから、中小企業はなかなか伸びないと考えているなら大間違いだろう。
人は育つのだ。
その伸びしろを見抜かなければ、たとえ難関大学卒業者を採用できたとしても、本来の伸びは期待できない。
万が一、奇跡が起きるとするなら、やはりそれを起こすことができるのは一人の天才しかないだろう。