考えようによっては当人にとって、これはかなり幸せな状態だ。
分からないことをきちんと捉えているなら、答えを探せば良い。
何がわからないのかがわからないなら、全体像を説明してもらって、何が足りないのかを気付けばいい。
何がわからないかわかっていないだろうことを、自分がわからなかったら、それは分かっていないこと自体が無かったことになる。
だが、この最後のケースは仕事の上ではあってはいけないことだ。
そんな人がいないようにしないと、仕事は質も量も偏ってしまう。
ただし、オーバーワークになった人が優秀だというわけでないところがミソだ。
他人に対して、わかってねぇなと思ったところで、何も改善しない。
空しくなるだけだと気付いた。
気楽に、ま、いいかと割り切れば良いのだ。
自分にとっての最重要事項は技術的な知識の蓄積だけ。
そんな風に考えれば、ニーズに答えられていない今の体制も、全てがフワッと軽くなる。