自分が子供の頃、横断歩道はハシゴのようなデザインだった。
今のだってそうじゃないかと若い人は思うかも知れない。
ハシゴと言っているのは、シマシマの横にハシゴの縦棒のように線が引かれていた。
いつの間にか、この縦棒が消えてシマシマだけになった。
理由は、経費の削減と横断歩道の白線に囲まれるところへ水が溜まるのを防ぐためだ。
こんなふうに、今までの常識が知らぬ間に非常識になることがある。
日本の人口が1億2千万人と言っているが、これがいつの間にか1億1千万になり、1億人になる。
一方で世界の人口は、自分が子供の頃には40億人と言っていたが、今は78億7500万人。
今のところは増え続けている。
しかし、これも予測ではピークを迎えてその後は減少に向かうという。
子供の頃に感じていた、このまま日本の人口が増えると住むところが無くなるんじゃないかという不安は、ある意味同年代の常識だったかも知れない。
今の子供たちはこのまま日本の人口が減り続けて日本が無くなってしまうんじゃないかと不安に思っているかも知れない。
現状が常識であっても未来には今の常識がひっくり返り非常識になるかも知れない。
世の中の車が全て電気自動車になる未来を常識だと思っている節がある。
化石燃料を使ったり、何かを燃やすということが非常識になる時代が来るかも知れないが、まずは日本の住宅の省エネ性能を世界一にして、一世代で1度持つものでなく、数世代にわたりメンテナンスしながら持ち続けるものに変わるべきだろう。
夏は暑く、冬は寒い。
そんな中で考えられた日本家屋という考え方は現在の日本の気候では非常識だとなる必要がある。
家を作ればさまざまな需要が発生して経済が回るというのは日本経済全体の中で、今でも常識なのだろうか。
電気が全て自家調達で二酸化炭素の排出ゼロになり、車も全て電気自動車になり、それでも二酸化炭素が減らなかったら?
まずは、食用牛肉の生産量が減り、豚肉の生産量が減り、鶏の生産量が減るだろう。
動物性タンパク質摂取は虫からになり、微生物からに代わる。
食べること自体が非常識になり、全てはサプリメント。
睡眠もカプセル内で深い眠りをとる。
人は酸素消費が少ない行動しか許されない。
人が人を産まなくなるのなら、人工的に人を生産することが常識になるかも知れない。
もはや、人が地球上に存在する意義がない。
そんな考え方が常識になる可能性は本当にゼロだろうか。