DXと2025年の崖

何故、明確に2025年が崖と言われるのか。
諸説ある。
企業の基幹システムのサポート期限が切れるのが2025年頃に集中するとか、超高齢化社会が始まるとか。
DXを進めることで、この崖を越えられるのか?
DXは社内のシステムをデジタル化することではない。
DXはあくまで社外に対するデジタル化。
確かに企業により、進めるべきDXの内容は異なる。
そして、頭の古い経営陣は大昔に言われた差別化による利益の創造が今でも変革期には重要だと考えているかもしれない。
だが、それこそがIT詐欺師にとって思う壺なのだ。
IT詐欺師にとって、プラットフォームを作ることは技術的に不可能だし、何しろ差別化を図りたい企業にとっては高い金を払ってまでグローバルデザインされたプラットフォーム上で稼働するシステムには魅力が無いのだから、はからずも両者の思惑は一致することになる。
何となくすでに存在するプラットフォームの上にゴテゴテとカスタマイズした機能を乗っけて高い金を払ったほうが我が社独自のDXを推進した気になる。
だが、個人的にはこれが大きな間違いで、フリーで使える、基本機能を有したDXのプラットフォームを国家戦略として作るべきなのだ。
また、DX推進と内製化は合わせて考えられる。
これもなるべく安く差別化して、技術を財産としたいという思惑からくるものだろう。
この差別化という陳腐な考え方は30年以上前にも生まれていたもので、IT畑でない企業が、この時に大量のIT要員を雇用した。
内製ができないIT人材の活用として、社外向けのシステムベンダー部門を立ち上げて、上場企業のSIERでございますと高い金をとっている。
この話題はたまたま、日経クロステックで連載されている、木村岳史の暴言極論でも取り上げられている。
子会社系ベンダーが幅を利かせる人月商売のIT業界、「IT利用産業」でしかない現実とは、という記事で書かれている内容に近い。
しかし、もはや業態がどうこう言ったところで、何も変わりはしなく、ユートピアを語ってもなんの意味もない。
確実に言えることは、高い技術が無ければ使えないプラットフォームなんてのは、価値が低いのだと気付くべきなのだと言う事。
今のままでは、なんちゃってDXが独り歩きして、2025年の崖から落ちてしまったことさえ気付かないことになるとしか思えない。
もはや、IT技術において日本が技術リーダー、技術大国であるべき意味など無く、生産性だけを突き詰めたメーカーとなるしか未来は無いのではないだろうか。