悲しくなるほど未来の希望が見えない

県内で女子中学生が自殺した事実がある。
当人は、イジメ対象になっていたと見られるのだが、イジメの事実は不明であり自殺の原因が自殺であるとは断定できないというのが、教育現場の見解。
ただ、市の教育委員会からは組織的対応が不足していたという見解が出ている。
人間誰しも、死んでしまいたいと簡単に考えることはあると思う。
とくに、精神的にも肉体的にも大きな変化が生じる思春期には顕著だろう。
だが、自死を実行に移すことがないのが殆どであり、自死に至るには相当の理由があるはずだ。
教育現場は自らの立場と、上位の教育組織を守るのが最優先事項であるのだろうか。
それなら、イジメを認めずにイジメが無かったように見せるのではなく、イジメを徹底的に糾弾してイジメが誰にとっても何の利益もないことだということを浸透させるべきだ。
イジメをしている側の将来を考えるとなどとキレイゴトを言うのはくだらない理屈だ。
もしも、イジメをしていた事実が将来判明して当人たちが人殺しなどと揶揄されることがあったとしても当時の学校関係者が責められることはないと考えているのだろうか。
これでは子供達の将来の希望が見えない。