どちらが身勝手なのか

2023年の酷暑の影響は、自然界にもある。
ドングリが多く実らず、冬眠前の熊が人里に降りてきて柿の実を食べて、その際に偶然遭遇した人間が怪我をするなどの人的被害も多く発生している。
行政はそのような熊に対して駆除しようとするのだが、それに対して地域住民ではない人たちから役所に対して非難の電話やメールが届くという。
非難する人達は熊が可哀相だという。
彼らは否定するだろうが、彼らは野生動物と共存することが、いとも簡単にできると考えている。
現実的ではないが、野生動物の生息域と人間の生活圏を完全に遮断することができたとしよう。
その場合、野生動物の生息域では自然界が与えてくれる食料に見合った個体数しか生き残れないことになる。
この方法が可能ならば、駆除反対の人達は納得するのだろうか。
この方法を取ると、人里で何とか食料を得て生き延びることができた野生動物たちは確実に餓死する。
それが自然の摂理であるから、それが良いとするのであれば、知識や科学で生息域を拡大した人間は自然の摂理を捻じ曲げて生きている。
現在得ている知識も含めて自然の摂理だとするならば、野生動物の駆除は自然の摂理に反することにはならない。
クレーマーたちに、1度熊に襲われてみれば良いというのは同じ立場になっても熊に対して駆除という選択をしないのかという問いかけだとは解る。
勿論クレーマーたちは熊に襲われて命を落とすこともやむを得ないことだとは考えてはいないだろうし、襲われた時に近くに銃を持った人がいれば助けを求めるだろう。
どちらの側の人たちも、人間がいつまでも地球上の生物の頂点にいるなどと考えてはいないだろうか。
コロナがもっと凶悪なウイルスで潜伏期間も感染期間も長く、致死率が100%に近いものだったら、人類は今地球上には殆ど存在していない。
僅かに残された人類はそれこそ野生動物と自然の摂理に従った闘いを行っていたことだろう。