ゼロカーボンシティ

新聞の受け売りなのだが、全国の自治体でゼロカーボンシティを目指すとしているところが相当数あるそうだ。
要は、太陽光発電など二酸化炭素を発生させないで作られた電力を使うことで、ゼロカーボンという理屈のようだ。
太陽光発電で作られた電力は、そのままそこで消費されて、需要を満たすだけては残念ながらゼロカーボンとは言えない。
電力以外に水道を使っても、電力は使われているのだからそれも含めた電力を賄う必要があって、その分は発電した余剰電力を電力会社に売電する必要があるし、地産地消するならば電力供給網の整備が欠かせない。
だが、電力供給網について整備する、整備することを想定していないと答えた自治体は85%に上る。
確かに、僅かな発電で送電網を整備することは経済的観点からはナンセンスではあるが、何のために自治体がゼロカーボンシティを目指すのかを考えた時に、政府補助を使って地元企業にお金を回すことが最重要なのだから、自治体向け補助が出ない電力供給網整備などやるに値しない事業であり、本格的整備ができなくても、局所的に補助金を引き出して、自分の選挙を応援してくれる企業に餌をやることに意味があるというわけだ。
生物はどこかでその種の愚かさの壁がある。
その壁で地球上の主役たる生物は入れ替わって来た。
小さなところでは、セイタカアワダチソウは旺盛な繁殖力で生存域を席巻するが、繁殖しすぎるとその生息域の栄養分を使い尽くして、やがてその姿を消してしまう。
セイダカアワダチソウには繁殖が過ぎると、自分たちが消え去ってしまうことなどわかるわけがない。
人類も愚かだからこそ、地球上を席巻し、やがては消え去ってしまうのだろうか。