ヤバいと言っても虚しいだけ

最近、このブログでは中国を肯定する記事を書くことが多いなと思った。
けして、共産主義思想の持ち主ではないが、中国の経済がかつての日本のバブルのように弾ける寸前だとか、日本とは比べものにならない超高齢化社会がすぐにやってかるとか、そんな記事を書いて自国の不甲斐なさの溜飲を下すのは止めようと思っている。
結局、国民の多い国は繁栄して少ない国は衰亡するのが原理だ。
国民の多さは、資源の豊かさと比例する。
5大文明などは食料資源の豊かさを背景に発展した典型だ。
日本が大戦への突入を選択したのは、化石燃料と鉄鋼を国外に求めたことが大きな理由だ。
大昔はその点がとてもシンプルで、資源が無ければ国外にそれを求める。
それが植民地政策であったり、侵略だったりする。
英国、フランスなどは数多の植民地を有し自国の資源のなさをカバーした。
米国も同様で、資源は自国にあるが、手に入れるための労働資源を奴隷に求めた。
自国民の数を増やすことは時間のかかることで、手っ取り早く外から連れてくることで近代世界の競争でスタートダッシュに成功したわけだ。
日本国内でも、移住者を求めるのではなく、根本対策が必要なのだと訴える声が高まりつつある。
そのために、子育てしやすい環境をなどと言っているのだが、全国民は薄々気づいていて、少子化対策は金の問題では無いのだと思う。
今は日本人の滅亡などまだまだ考えられない。
多分日本人が1万人位になっても、固まってさえいれば滅びるなどとは考えないだろう。
だが、考えてみると、ザックリ人口が1万分の1になると、東京には1300人しか人がいないことになる。
これでは社会の形成などあり得ない。
食料を作るにも、医療を何とかするにも、全てにおいて人手が足りない。
今の日本は、そんな世界へ突き進むトロッコに乗って緩やかに進んでいるのだけど、緩やかな変化は人の感覚をマヒさせる。
せいぜい、コメ不足で米の値段が高くなったとか、野菜が高いとか、鳥インフルエンザで卵が高くなったとかそんな変化で大騒ぎするしかできないのだ。
ヤバい状態を受け入れるのは未来の世代なのだから、危機感を持てという方が無理な話だが、人類は形だけの反省のフリをするだけは得意で、人の振り見て我が振りなおせなどは最も苦手なことのひとつで、どれだけ叫んだところで何も変わらない。