個人が求めるAIのメリットと、社会の未来を見据えた場合に求めるそれは、大きく異なると感じている。
個人が求めるAI機能は、もっと簡単に使えるwikipediaの域を超えるのだろうか。
AIにより、単純作業を人間がやらなくなることに対してはそれにより職を失う可能性のある人達から大きな反対の声が上がる。
少子高齢化が深刻な問題となっているのは、世界全体から見ればまだまだ少数の国であるし、顕在化しているはずの食料不足問題は、発言力のある国では深刻な問題とは捉えられていない。
AIに求めることは一体何なのか。
高度な判断が人間の数千倍の速度で正確にできるAIを求めているのは一部の科学者と技術者にすぎないかも知れない。
もしも、政治判断において最適解を出すのがAIだとなったとして、為政者達はAIにその席を譲るとは、とてもじゃないが考えられない。
全てをAIに任せれば、食料も工業製品も、果てには娯楽さえも人間が介在すること無く提供できるようになったら、人は何をしようとするだろうか。
働くこと無く、欲しいものは全て手に入り、個人に対するあらゆる差が無くなる。
勉強ができなくても、死ぬまで何も心配することはない。
犯罪を犯すことは不可能だし、欲しいものが全て手に入る世界で起きる犯罪などありうるのだろうか。
人間は何もわかっていないけれど、世の中はAIが最適解による運営が行われる。
そんなAIが手に入るとして、人はそれを求めるだろうか。