最近の大雪で、屋根の雪下ろしの際には命綱をつけて作業しましょうとTVニュースでは言う。
屋根の雪下ろしなど一生縁のない地域の人は、これを聞いてもふーん位にしか思わないだろう。
だが、一度でも屋根の雪下ろしをしたことのある人ならば、命綱なんてどこにどうやって繋ぐのさ、と思うだろう。
ましてや、そのことを言っているのが地元放送局で地元出身のアナウンサーなら、こいつは何をわけのわからないことをいってんだとなる。
屋根に命綱を固定する場所がある屋根なんて聞いたこともないし、屋根を跨いで命綱を張るなんてことも聞いたこともない。
じゃあ、命綱を付けて作業することは不可能なのかというと、多分不可能ではないが、そのためにはそれなりの家の改修が必要になる。屋根に大雪が積もるから雪下ろしをするのだから、命綱の固定場所は雪がどれだけ積もっていても命綱を結べる場所である必要がある。
屋根上に2メートル近い長さのある命綱を結んで300キロとか400キロとかの荷重が掛かってもびくともしないものが必要になる。
これは、できないことは無いが、ほぼ不可能に近い。
実現不可能な正論を振りかざす輩は信用できない。
IT業界での顧客要望にも往々にしてそんなことはある。
そんな業務運用をしたいのならば、紙に戻せば良いのにと思うこともある。
ではそんな時はどうするのか。
わかりましたと言っておいて、到底払えそうもないクソみたいに高い見積を出すか、ショボい機能だけ実装して補完するためのマンパワーと複雑なマニュアルが必要となることを要求定義に盛り込んでしまう。
こわなときほど、もっと優秀なAIが普及して、誰も管理できないけれどAIだけは進化して、自己修復やアップグレード、新たなものを追加する世の中になってしまえば多くの人が幸せになり、一部の権力者達が不幸になるのになと考えてしまう。
このことは、いつか必ず現実のものになり、顧客ともいえる人間の要求に対して、冷酷な手段で誰もとめられないことが実行されることになるどろう。
例えば、地球の平均気温を2度下げろと言えば、人間は生活の上で必要な最低限のエネルギーしか使えなくなり、体力の無い人間は死滅してしまうかも知れないが、一方でエネルギー管理に関して外部から最適以外の操作をすることはできないと定義してしまっていたら、人類はAIの指示を粛々と受け入れる以外に手はない。
そんなことできるわけ無いでしょうというなかれ。