日本企業とかそんなことはどうだって良い

日本企業が世界的に1流であるならば、確かに誇らしく感じるのは事実だ。
それは、オリンピックで日本人選手が金メダルを取ったときに感じる誇らしさに近い思いだろう。
近年、日本を代表する企業のトップが外国人になるケースも多くある。
そんな時、今の私は何だか残念な気持ちになってしまう。
だが、そんなことはどうだって良いことなのだ。
むしろ、日本発であってももはや世界企業だと言われるくらいの方がはるかに良い。
企業は法人格を有する。
法人がたまたま日本で最初に登記したにすぎないケースがこれからは増えて欲しい。
国家としては、外貨と税収を日本のために稼いで欲しいので、日本企業ということを重視する。
だが、法人が日本は住みにくい国だと感じ、海外に移転することはあり得る。
あぁ出ていかないでと騒ぐのは、日本における地方の人口流出と同じだ。
海外からの働き手を期待しながら、安く使おうというセコさは、日本が憧れられる国の時ならまだしも、今や貧乏旗本の三男坊みたいな日本においては愚かしいほど憐れだ。
労働者にすれば、どこの国の企業だろうが生活を豊かにしてくれるだけの報酬を出してくれる企業が一番なのは間違いない。
だが、日本の労働力の質はかつての発展途上国の国と比べて特筆できるほど優秀なのだろうか。
技術開発力が無いのに、ブルーカラーではなくホワイトカラーが優遇され、経済的なシワ寄せを低所得層に寄せられるだけ寄せる国では、高度医療の発展をリードすることも、エネルギー技術の発展も、IT技術の発展も海外任せ。
かつてならば、海外技術をブラッシュアップして付加価値を付けることのできた面影は残っているのだろうか。
もはや、日本でなくてはいけない理由がないということに世界が気づくのは時間の問題だと思うのだけれど。