米と人口

現代の日本人は物わかりが良い人がなんと多いことか。
米の価格が高くなったことに対して、一体いくらかかっているのか解らない米の生産に適切な価格をなどと言う。
元々食糧管理法で米の生産は保護されていたのが、補助金の支払いが多すぎるとして補助金を廃止、過剰生産となっていた米の生産量を減らすために減反政策を強く推し進めた。
そう言えば、人口政策にしても日本の人口が増えすぎることを危惧して子供の出生数を抑える政策を進めたのだ。
人口増加を抑えるのは簡単なことだ。
育児費用を高め、費用算出のために女性が働かざるを得ないようにする。
どう転んだって、男性が出産できないことは事実で、性別の差による社会への貢献は違っている。
そこで使われるのが、平等と自由という言葉だ。
真に平等と自由を進めるのであれば、弱者を救うセーフティネットなどのためにリソースを使ってはいけない。
だが、いつどこかで自分が社会の網から溢れるかもという不安を煽ってセーフティネットを構築するための金と仕組みが必要だと言うのだ。
人口が減れば、米は余るので生産を減らす。
米作が儲からないとなると、米を作る人は減るうえに、新たに農業を始めるハードルは高すぎるときた。
もはや、負のスパイラルを回し始めた日本には逆転の目はかなり少なくなっている。