首相降板

安倍総理が体調不良により降板した。
思えば第一次政権の時にも体調不良を理由に降板した。
今回も前回と同じ病名。
潰瘍性大腸炎。
収束が未だに見えてこないコロナウイルスへの対応を次の総理に引継ぐことになる。
下野し、復活した自民党政権で求人率は高くなり、株価も復活した。
しかし、2度に渡る消費税増税。
少なくとも自分には経済の復活による生活の向上は感じられない。
トリクルダウンという、思惑は外れた。
企業が潤えば、従業員の賃金も上がり潤うという理屈だが、企業の潤いは内部留保の積上げになり、従業員には一時金として支払われることはあっても、基本給の上昇にはあまり繋がらなかったのではないだろうか。
次の総裁が誰になるか、しばらくはその話題でもちきりだ。
官房長官が、立候補を表明し、一気に最有力候補に躍り出た。
世論では石破さんが最も人気があるが、国会議員の票は弱い。
自民党総裁選挙は、国会議員と党員の投票で本来は選ばれるが、今回は国会議員の投票のみで選ぶように進めているようだ。
現政権の石破おろしは相当なものだ。
しかし、そんな状態になろうと、国民は自民党を選ぶ。
仮に、憲法改正を強引に裁決したとしても、自民党は選挙で勝つだろう。
原子力政策もしかり、国家安全保障の元に通信の傍受や言論統制だって裁決できる。
果たして、今の自民党の国会議員の中で、内閣が出した法案に反対票を投じる人がいるのだろうか。
支持率低下も一時的、現在の野党に国家運営能力がないことは、以前に証明されてしまった。
ましてや、このコロナ渦の中で自民党以外に政権運営できる党はない。
民主党政権のおかした罪は大きい。

教育実習

次男が出身中学校で教育実習をやるようだ。
当人は教師になるわけではないが、とりあえず資格だけでもとっておこうというところか。
自分が中学生の時にも、実習生はきていたはずだが全く記憶がない。
実習期間は自宅から中学校に通うことになる。
今年はコロナウイルス流行なので、昼食はどうなるのかとか、わからないことも多そうだ。
弁当を持参することになると、妻はたいへんだ。
期間は3週間なのでそこそこ長い。
毎朝起きて遅刻することなく行けるのかとか、チャンと授業ができるのかとか、不安はあるが、教師にならないのだからなんのために?という気持ちのほうが強い。
来春からは、社会人。
何とか就職先も決まっている。
もはや、アレコレ世話を焼く必要がある年齢でもない。
自分の人生を決めて進んで行くだけだろう。
帰る場所があるとか無いとかそんなことはどうでも良い。
自分で稼いで自分で生活する。
それができれば、何を言う必要があるか。

ウィズコロナ

何だか軽い感じで受け入れやすい言葉。
万策尽きて諦めなさいとは言えないので、フワッと刷込もうとしている感じ。
人類が経験していないウイルスが何故今になって流行するのか。
最初にコロナウイルスに感染した理由は何なのか。
これは細菌戦争でないのか。
アメリカで感染者数が突出している理由は何なのか。
細菌を利用した経済戦争だと言う見方もできる。
経済的に追い込まれた国はその穴埋めのために、信じられないような行動を起こす可能性がある。
最強の軍隊を持つ国が経済的に破綻するようなことがあったらどのような事が起きるのか。
かつてイギリスからアメリカ大陸に武器を持って移住した人達は何をやってアメリカという国を築いたのか。
自分たちの為という免罪符が成り立ってきている自由の国に暴走をさせないため、世界中の国が貢物を求められる。

自浄心理

コロナに感染した場合、肺炎ではなくこんな症状になるとしたらどうだろう。
全身に発疹が出て髪が抜け、皮膚がただれる。治っても発疹は少なからず残り髪も生え揃うまで時間がかかる。
しかも、感染力を保持したまま。

ただし、発熱や痛み痒み、倦怠感などの症状はなく生命の危険がない。
こんな病気だったら、人は感染リスクを負うだろうか。
皆がコロナには感染したくないと言う。
これは嘘ではないだろう。
だが、絶対にかかりたくないかと言うと、かかっても仕方ないかなと思う気持ちがあるような気がする。
死亡リスクがあるにもかかわらずだ。
人は死をイメージすることが難しい。
実体験として死んだことがある人はいないからだ。
だが、コロナの症状が最初に書いたようなものだったらどうだろう。
ほぼすべての人が、絶対にかかりたくないと思うだろうし、感染リスクがある行動はとらないだろう。
一方で感染した人は自暴自棄になり、多くの人に自分と同じ病気をうつそうとするかもしれない。
しかも感染から発症までの潜伏期間が1年以上あり、潜伏期間にも感染力を有するとしたらそれでも人は外出するだろうか。
自浄作用のない世の中で感染は自然消滅することは無い。

世界コロナ感染者3000万人

アメリカ、ブラジル、インドの3カ国で1000万人。
アメリカだけで500万人。
日本は5万人。
アメリカの人口は3億3000万人なので、6.5人に1人がコロナに感染している。
同じ比率で日本で感染が広まると、170万人ほどの感染者になる。
アメリカが持ちこたえていられるのは、何故だろうと不思議に思える。
日本で感染者が170万人にのぼると、医療体制は完全に崩壊している。
治安維持に必要な警察や消防もその機能が正常であるとは考えにくい。
日本人はそれでも、唯々諾々と政府の指示にしたがい、座して死を待ち続けるのだろうか。
第二次世界大戦での総戦死者数は6年間で民間人を含め、6400万人。

世界のコロナ

世界のコロナの感染者が1900万人に達した。
2000万人になるのは4-5日後だから、8/11か8/12頃だろうか。
この増加率が高くなるのか、変わらないのか、低くなるのか、そんなことを考えても仕方ない気がしてきている。
経済を止めることはできない。
重症化して亡くなる人が増えるのは仕方が無い。
そんな風になっていくだろう。
人混みで感染するなら、それはそれでやむなし。
受け入れるしかない病気。
最大の懸念は、この病気は免疫が付くのかということ。
何度でも感染し、重症化する確率も変わらないとなると、人類の最大の死亡要因の病気になる可能性だってある。
重症度が高くなる変異がないとも限らない。
そうなると、人類滅亡の危機だね。
生き延びるには、南極に住むしかなくなるかも。

世界のコロナ覚書

短く終わってしまうが、世界のコロナ感染人数の覚書。
1610万人。
アメリカが425万人でトップ。
次がブラジルで240万人。
3位がインドで139万人。
日本は29684人。

よく似た話を振り返る

よく似た話ばかり書いているなぁと自分でも思う。
日本でのコロナ感染者数予想も書いたっけ。
3月末に国内のピークは2万人と予想していた。
7/14時点で22586名。
超えてるね。
ちなみに世界中だと1300万人を超えている。
日本での感染者が収束する気配がないとすると、20万人の感染者数予測をしていたわけだけど、こりゃ超えるね。
相変わらず、岩手県だけが感染者ゼロを保ってる。
スゴいことだ。
何だかんだ言っても、今は第2波。
小池劇場が始まる。
どんな言葉を造語するのだろう。
流行語大賞にいくつノミネートされんだってくらいに耳障りの心地良い言葉を作るね。
迂回路なしの袋小路になるんじゃないかってときに、室町時代の公家みたいなことしか言わない。
公約は守れないけど、太っ腹だから当選したんだもんな。

過去最高の感染者数

東京都で224人。
コロナ新規感染者の数だ。
都知事の会見では検査数、つまり母数が大きくなったため、感染者も増えるのは当然であり、緊急事態宣言発令はしないとのこと。
じゃあ、緊急事態宣言発令中の感染者数の収束はどうなのだ。
医療体制も逼迫し、検査数は十分な母数だったのか。
カイロ大学主席卒業されているのだから、統計で何かを示そうとするなら、正しい手法を用いなければいけない。
もちろん、ベストは全数検査だが、現実的ではない。
無作為抽出による、集合全体に対する検索結果でないのだから、感染者が多くいる地域での検査を行った結果では数字が悪くなるのは当然。
今のやり方で感染者の数をどうこう言ったって無意味、無駄。
やるべきは、正しい手法で感染者の増減を正確に把握することだ。
感染者の中で、無症状の人の割合がどの程度になるのか、それがわからないことには、発症者と濃厚接触者の検査結果による感染者の合計数だけで一喜一憂しても仕方ないと思うのだが。
なぜ、医療体制に余力がある時に感染者数予測の基礎となる検査を行わなかったのだろう。
例えば、休業依頼を受けた人達はPCR検査を条件に補償を行うとか、色々なやり方はあったはず。
何度も書いているが、休まなくて結構。
お客が行くかどうかはわかりません。
医療崩壊しないよう、コロナ患者の受入れも病院判断に任せます。
これが行政の最悪の対応シナリオだと思うのだが。
こうなると、感染者数は一定数に収まる。
ただし、それは実態にそぐわない数であり、明らかに感染している人も感染者としてカウントされない。
重症者が増えれば、社会の歯車が回らなくなる。
東京都から地方脱出する人がかつてないペースで増加。
感染者も日本中に散らばる。
感染者の受け入れは生産労働ではなく、社会的保護が必要な人ばかりになるから、地方の権限を高める道州制度実現の可能性も出てくる。
WITHコロナはこの国に明治維新以上の革命を呼ぶかも知れない。
都会からのUターンを望む地方都市が多いが、地方都市から吸い上げた人間を都会が吐き出した時に、受け入れるだけのキャパシティはあるのか?

医療体制

コロナへの感染者に対する医療体制にはまだ余力があるので、緊急事態宣言はしない。
正論だ。
病床数に余裕がある状況で、都民の経済活動を抑止するようなことは言いたくない。
感染者の増加を抑えることはききのわるいブレーキで走っている満員電車を止めるようなものだ。
いざ止まろうと思っても、惰性で電車はしばらくのあいだ走っていく。
ブレーキのききのわるい電車を早く止めるためには、満員電車に乗っている人に電車から降りてもらうしかない。
そうしないと、電車内の感染者は増え続けた挙げ句に、停車駅を超えて壁にぶつかってしまう。
電車内の感染者は治療されず、都民を守る壁である医療体制も崩壊してしまう。
満員電車をおりた都民は、そこから動かずにいてくださいと言われても、誰も水も食料も持っていないし、配給される目処もない。
仕方がないので、歩き続けて感染者を増やし続ける。
この物語の結末の1つとして考えられるのは、全員が感染して抗体ができ、ウイルス自体の驚異が無くなるということだ。
そこに辿り着くのが何人にひとりなのかは運次第といったところか。
電車を止めたところで、電車を使わずに歩き続ける人が増えることは確実で、感染者の出方は前回の時と同じにならないことも考えられる。
吉田拓郎の歌ではないが、古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう。
残酷な選択を迫るが、若い水夫がどうしたいのか、そのことが重要だと思うのだが。