パソコンを使っての年賀状作成になってから、手書きの何かを添えることは無かった。
キレイな字を書けないので、印字される書体で読みやすい文字で出す年賀状の方が相手に対して失礼でないと考えていた節もある。
3年ほど前から、年賀状には手書きで一言添えるようにし始めた。
メッセージを添えるのは、友人や、仕事で共に苦労をした人に限られているのだが、それでもひと手間かけた年始の挨拶をしようと考えるからだ。
勝手なもので、自分が一言添えるようになると、定型印刷された年賀状はダイレクトメールみたいだなと感じてしまう。
何で手書きの一言を添えるようになったのか、自分なりに考えてみた。
そもそもこれを始めたのは、自分が腰を痛めて手術をした年の年末からだ。
若い頃は、自分もそうだし年賀状を送る相手も元気なのは当たり前だと考えていたので、わざわざ一言を添えなくても相手の近況も気にならなかった。
年をとって、ようやく一年に一度相手の近況を思って、相手も自分の近況を気にしているかもしれないと、勝手なことを考えて一言を添えることにした。
だからといって、全ての年賀状にその人ごとに大きく異なる言葉を添えるわけでもない。
ただ、その人にとって特別なこと、人生の転機があったことを知っていれば、それに対して簡単に一言を添えるようにはしている。
今年のこちらの近況は、子供たちがみんな社会人になったこと。
賀状の先に、来年も良い未来があるように。
レスポンシブ対応のスライダー
超メジャーとも言えるslickで実装した。
レスポンシブ対応なので、ブラウザのウインドウサイズを変更すると、スライド画像がリサイズされる。
これに対応したところ、グーグルのスピードインサイトのスコアが劇的に悪化した。
スライド前が90オーバのスコアだったのが、スライド後は70ほどまでに低下。
スコア向上のポイントを見ると、不要なcssを減らせとか、jsを減らせとか、画像ファイル形式を新世代のものに変えろとか、そんなアドバイスが出る。
jqueryとcssはとりあえずダウンロードしてローカル参照にしたが、実際の速度が遅いと言うよりは、不要な読み込みを減らせと言われているので、スコアは改善されない。
スマホでチェックしても、pcでチェックしても、表示速度は遅くはない。
だが、グーグル様が低い評価をするサイトはseoが悪くなる。
結局性能を突き詰めれば、静的サイトでcdn運用しろってことになるのか。
そうなると、サーバサイドで処理が必要なところは、cgiで実装とかになってしまう。
そんな非効率なことやりたくないね。
無くしましたって、、、
社会人のニューイヤー駅伝の優勝旗が無くなった。
企業対抗の大会なので、甲子園の優勝旗に対するような思い入れは出場者にも参加企業にも無いのだなと思った。
もちろん、熱い思いのある企業もあるだろうが、世の中もそれほど大騒ぎしていないし、この大会での優勝が選手にとってこれからの人生が大きく変わることも無いのだろう。
セレモニーのための象徴となるべきものが要るから作っただけであるなら、その存在自体不要なんじゃないのと思ってしまう。
セレモニーのための象徴として最たるものは何かなと思ったとき、自分の考えでは三種の神器が思い浮かんだ。
鏡と玉と剣だったろうか。
源平の戦いの中、壇ノ浦で海に没したものもあると記憶しているが、現在はどうなっているのだろう。
今でも皇位継承では三種の神器を引き継ぐ行為がされると言う。
これらは、皇居の敷地内の神社に保管されているのだろう。
天皇が自分の居所において、ホコリが被ったら掃除したりとか、そんなことはしない。
宮内庁の職員が責任をもって管理している。
駅伝の優勝旗も表彰式が終わったら事務局で保管することにして、優勝した企業が翌年までの事務局の維持管理費用を負担するとかにすれば、いいのにと思う。
結局スポーツの世界もお金のないチームは強くなれない。
たまたま、一度くらい良い成績を残せたとしても、それを維持することができない。
だったら、勝者が相応の負担を負うのは理にかなっていると思うのだけど。
大雪警報
今年の1月は大雪だった。
車を出すにも、車庫前の除雪が必要。
だが、その雪をどこにも持っていけない。
雪が小康状態になるまで、車を動かすのは諦めて、スーパーへの買い物もリュックサックを担いで歩いて行った。
年末前に前回と同じような大雪警報が発令された。
雪の降り始めは地温がまだ高いので、少しくらいの降雪で積もることはない。
だが、安心はできない。
温暖化で年間降雪は減ってきているが、まとまって降ることが多くなった。
何度か書いているが、ゲリラ豪雨ならぬゲリラ豪雪だ。
これが通常になっていき、天気の予想が正確になっていくと、人は天災に対して備えることができるようになる。
それがはたして、良いのか何とも言えないなと思ってしまうのは、人が地球にとって与えた影響で全てのことが起こり、それを抑えることが難しいことがわかるからかもしれない。
非常識が常識になるのも世の常
昔はクレジットカードでの買物はあまりされることが無かった。
基本的に現金決済が常識で、クレジットカードで買物をする人はカード破産とか言う言葉もあって、どちらかと言えば非常識に分類されるものだった。
今では現金決済の割合が低くなり、クレジットカードや電子マネーでの決済の割合が高くなってきている。
現金決済以外が非常識だというと言い過ぎだが、現金以外の決済の場合、手数料が発生して、昔は買う人も決済手数料を取られたし、売る側も決済手数料が取られた。
わざわざ余計な手数料を払って買物することは非常識な行為だったわけだ。
そもそも、貨幣に価値を見出すこと自体が非常識だった時代すらある。
ビットコインで買物することは、今はまだ非常識だが、その内に給与、年金もビットコインとなるのが、常識になる時代が来るのかも知れない。
常識が非常識になるのは世の常
自分が子供の頃、横断歩道はハシゴのようなデザインだった。
今のだってそうじゃないかと若い人は思うかも知れない。
ハシゴと言っているのは、シマシマの横にハシゴの縦棒のように線が引かれていた。
いつの間にか、この縦棒が消えてシマシマだけになった。
理由は、経費の削減と横断歩道の白線に囲まれるところへ水が溜まるのを防ぐためだ。
こんなふうに、今までの常識が知らぬ間に非常識になることがある。
日本の人口が1億2千万人と言っているが、これがいつの間にか1億1千万になり、1億人になる。
一方で世界の人口は、自分が子供の頃には40億人と言っていたが、今は78億7500万人。
今のところは増え続けている。
しかし、これも予測ではピークを迎えてその後は減少に向かうという。
子供の頃に感じていた、このまま日本の人口が増えると住むところが無くなるんじゃないかという不安は、ある意味同年代の常識だったかも知れない。
今の子供たちはこのまま日本の人口が減り続けて日本が無くなってしまうんじゃないかと不安に思っているかも知れない。
現状が常識であっても未来には今の常識がひっくり返り非常識になるかも知れない。
世の中の車が全て電気自動車になる未来を常識だと思っている節がある。
化石燃料を使ったり、何かを燃やすということが非常識になる時代が来るかも知れないが、まずは日本の住宅の省エネ性能を世界一にして、一世代で1度持つものでなく、数世代にわたりメンテナンスしながら持ち続けるものに変わるべきだろう。
夏は暑く、冬は寒い。
そんな中で考えられた日本家屋という考え方は現在の日本の気候では非常識だとなる必要がある。
家を作ればさまざまな需要が発生して経済が回るというのは日本経済全体の中で、今でも常識なのだろうか。
電気が全て自家調達で二酸化炭素の排出ゼロになり、車も全て電気自動車になり、それでも二酸化炭素が減らなかったら?
まずは、食用牛肉の生産量が減り、豚肉の生産量が減り、鶏の生産量が減るだろう。
動物性タンパク質摂取は虫からになり、微生物からに代わる。
食べること自体が非常識になり、全てはサプリメント。
睡眠もカプセル内で深い眠りをとる。
人は酸素消費が少ない行動しか許されない。
人が人を産まなくなるのなら、人工的に人を生産することが常識になるかも知れない。
もはや、人が地球上に存在する意義がない。
そんな考え方が常識になる可能性は本当にゼロだろうか。
議会への不信感
去年から県内の首長選挙で、自民党の分裂選挙がおきた。
最初が県知事選挙。
現職知事の多選を良しとしない富山市長がおす民間出身の候補と、官僚出身の現職候補。
結果は新人候補が勝利した。
この選挙で選挙対策委員長をつとめた県議は、今年行われた高岡市長選挙で新人対決となる分裂選挙でも選対を務める。
ひとりは、教育長。
ひとりは、現職の市議。
ひとりは、民間人。
皆が自民党の公認を要望した。
自民王国と言われる富山県では自民党の公認に選挙の当選証書なみの価値がある。
県連いわく、公認候補を選ぶためではなく、県内の党員アンケートを行った。
アンケート結果は市議がもっとも支持を獲得した。
だが、公認は教育長出身の候補に与えられた。
さらに、県連は公認を得られなかった場合は立候補しないようにとの勧告をした。
もちろん、これは民間人候補に向けたものではなく、市議からの転身を目指した候補に向けたものだ。
だが、民意を反映していない公認候補の擁立であっても選挙に負けるわけがないという思惑があった。
選挙を支え、集票の原動力となる市議は大多数が公認候補の応援にまわるし、何しろ公認候補というお墨付きがある。
しかし、結果は開票開始直後に市議からの転身候補に当確がでる。
かの、選対県議は味方に回すと怖い存在なんじゃないのかとさえ思ってしまう。
県議は何をやっているのかよくわからないから、選挙でのアピールが難しいと、その県議は言うが、本当にそうなのだろうか。
選挙のための議員組織は要らないんだけどね。
テンプレート直そうか
最近よく目にするサイトの動作で、下方向にスクロールすると表示が次々に出てくるというものがある。
すごい縦に長いページというのはどうなんだと思いつつ、普通の人が見たら見た目的にはすごいことやってる感じはある。
ブログだけだからと、何もしないテンプレートになっているが、やはり少しはカッコよくしたいと思うのも人情。
modxはhtmlとcssさえあれば、簡単にテンプレートにできるという。
受け売りのあれなので、真に受けるのもあれかなと思ってはいるが、サイトデザインをリニューアルしようかと思うのだから、テンプレートもかっこいいやつにしたい。
商用利用可能でフリーのテンプレートもそこそこあるので、それをベースに要らないところは削り、要るものを追加するのが、最短対策か。
しかし、不要なブロックとそれに対応するCSSを合わせて修正するのは良いが、ブロックの区切りなどはネストして記述されているとはいえ、コピペしたりすると、間違えてしまいそうな感じ。
編集ツール含めて環境を決めて、デザインを決めてといきあたりばったりで修正に着手しないといけない。
文字化けの原因
結局、文字化けの原因はごく一般的に言われるphpの設定で回避できた。
php-fpm用のphp.iniファイルでマルチバイト文字に関する設定を変更した。
httpでもらうデータの文字コードと、表示データとして出力するコード、つまりサーバー内部で処理する文字コードの変換設定を自動で行うかの設定値が、自動変換しないようにした。
httpからの入力文字コードも将来的に未使用になり、php7.2からは設定しないことが推奨されていたので、そちらも変更。
また、文字コードの参照順番もサーバの標準エンコードであるutf8を先頭に変更。
マルチバイト文字コードの判定はプログラムが提供するライブラリでも不具合があるので、自前でやる方法も説明されたりしている。
今はまだ、日本語のマルチバイト文字は比較的サポートされているが、そのうちに、中国語や韓国語はサポートされるが、日本語はまともに表示されないことになる可能性もある。
完全にit後進国になってしまわないともかぎらない。
大きな勘違い
modxのテンプレートをいじろうとして、管理画面にログインしようとしたが失敗。
dbapiのソースを見ると、デバッグ用のコードになっていた。
文字化けしないと思っていたコードに戻してログインには成功。
しかし、リソースの編集で日本語が文字化けする。
具体的にどんな文字コードになっているのか、ファイルに書き出してダンプした。
日本語文字コードが6バイトになっている。
文字化けしていない方は、utf8で1文字は3バイト。
2倍のコードだ。
SQLインジェクションの変換前の文字コードがすでに、おかしなコードに、なっているのだから、ブラウザから読み込んでphpに渡された時点で文字化けしていることになる。
こうなると、cmsのような大きなリソースではどこからおかしいのか調べるのはかなり難しい。
結局、テンプレートの作業は全くできないまま。
mb_convertでおかしくしていると思いこんで探しているのだが、キッカケがわからない。
悩ましいなぁ。