年末年始に次いで1/7からまた強い寒波が。
日本海側では防風雪警報が出ている。
平野部で50センチの予想は年末年始の70センチよりは少ないが、油断はできない。
仕事先への移動手段が心配だ。
第三セクターの鉄道は悪天候に弱い。
民営化された企業なのだから、災害対策予算が限られているので仕方の無いことだ。
最悪なのは、朝は動いていたものが急に夕方から動かないとかになった場合。
そうこう言っていると、木曜日の夕方には電車が止まった。
15時に早上がりしたが、遅延していた電車に乗れるかと思ったが甘かった。
バス停で一時間待って、1時間半かけて富山から高岡まで移動。
都合2時間半かけて帰宅。
金曜日の朝は、高岡富山ともに67センチの積雪。
当然電車は動かない。
10時頃から動く予定になっているが、夕方からはまた動かない。
夜間は再び動くことになっているが、不確定な運行情報情報に踊らされて、帰宅難民になるのはまっぴらゴメン。
休むことにした。
生活道路として、歩くスペースの確保だけは必要だ。
妻が朝4時半から、歩道の除雪をしてくれた。
両親も朝早くから除雪してくれた。
仕事は休むことにしたので、日中に少しずつでも雪を始末しないといけない。
家の前の県道は溶けない雪と歩道からよかした雪で道幅が狭くなっている。
融雪装置がなかった頃には、道路がデコボコで車は後輪をフリフリしながらユックリ走っていたことを思えば大したこともない。
国内コロナ感染者25万人
東京のコロナ感染がエゲツないことになっている。
とは言ったものの、これが感染ピークだとも思えないので、もっとエゲツないことになる確率はかなり高い。
国内の感染者数が累計で25万人を超えた。
国内の増加は5万人ごとに、ここに書いているが、それだと更新頻度が高くなりすぎるかも知れない。
30万人を超えるのは、10日後だと思うが、50万人を超えるのは、おそらく40日後とかじゃないだろうか。
緊急事態宣言を出して、感染を抑えることができるのか?
今年買いたい家電
ホットプレート。
4Kチューナー内蔵テレビ。
オーブンレンジ。
冷凍庫。
こんなものか。
テレビと冷凍庫は設置場所の確保も含めて、不用品の処分から始めないとダメだが、これが面倒だ。
粗大ごみの廃棄のために、軽トラを借りてきて処分しないといけない。
厄介なのは家電の廃棄品。
家電を買うために家電を処分。
買い替えではなく、消え行く家電というのがある。
ビデオデッキだとか、オーディオ製品。
こうやって見ると、家電本体だけでなくリソースが存在する。
処分すると2度と見られなくなってしまう。
レコードだとか、レーザーディスクとかそんなものも残っている。
8ミリビデオとかもそつだし、vhsビデオ。
あぁ悩ましい。
仕事始め
1都3県の知事が政府に対して、緊急事態宣言の発動を要請した。
もう、こうなるとババ抜きみたいなもので、発動には強制権があり、罰則を伴うことができる。
その代わり、補償を行うべきだという世論が強いが、原資は債権という名の借金。
人の生命より大切なものなど無い。国債発行して、経済不安を取り除いてコロナを撲滅してから、経済復旧すべきだと言う意見もある。
国民のトリアージ、選民思想が生まれるのはいつか遠くない気もする。
タイトルに戻せば、リモートワークのさらなる推進が求められるわけだが、セキュリティという大きな壁が立ちはだかる。
そんな中で2021年の仕事始めだ。
2020年12月の読書
9冊読みました。
1番のおすすめは小川糸のライオンのおやつ。
終末医療、いわゆるホスピスのお話。
ガンで衰弱していく速度は想定を超えて、人間の通常を奪っていく。
そんな中で、ホスピスではオヤツを入所のリクエストで出す。
身の周りで亡くなった入院していた人達は、アイスクリームを食べたがったと聞く。
噛まずに食べられて、冷たく熱っぽい身体が欲するのだろうか。
この作品の中では、入所したばかりの頃のリクエストなので、想い出のオヤツが出てくる。
手作りオヤツか。記憶には無いなぁ。
帰省自粛
帰省せずに、人の移動を抑えることで感染の拡大を少しだけ抑える。
そうなったら既に人が密にいる地域は隔離病棟みたいなものだ。
人口比で感染者を比較すれば一目瞭然。
例えば、富山と東京の人口比。
ずっと10%ほどだと思っていたが、実際は8%しか富山には東京都に比べて人がいない。
東京で800人の感染者が出た場合に同じ感染者の発生率なら、64人。
実際のところ、そんなに多くの感染者は出ていない。
東京で毎日800人の新規感染者が出たら、それは東京の人口比で15000人に1人くらいになる。
これが一年このまま継続したら、50人に1人くらいがコロナに感染する計算になる。
5年継続したら10人に1人がコロナに感染したことになる。
これを隔離病棟と呼ぶのは言い過ぎな気もするが、もしかすると人は自分の意思で住むところを選べにくくなるかも知れない。
20歳の時点で、自分が住む場所を選び、死ぬまでそこから出ることができなくなったりして。
もちろん不治の病ではなく、治る人もいるので、世の中の10人に1人がコロナ感染中というわけではないから、相変わらずコロナに対する危機感は薄いだろう。
コロナ致死率が東京の平均年齢で1.5%程度ならば、5年間で18000人の死者。
若者の致死率は低いので、死ぬのは高齢者が中心になる。
つまり、人目につかないところでひっそりと人が亡くなり、感染者は高止まり。
たがらと言って人口集中に大きな変化が現れるとは思えない。
東京都の自殺者はザックリと5年間で10000人。
自殺者よりもコロナで亡くなる人のほうが多くなる。
でも、生活できなくなって自殺する人は増えるだろうから、どうなるだろうか。
ますます、弱い人間は生きていけなくなる。
今更自然の摂理にしたがうことになろうとは、考えたくない。
コロナ変異とワクチンのイタチごっこが今年始まる。
これに負ければ、人間は自然摂理に従って強者は富み生き残り、弱者は貧しく生き残れなくなる社会となることが見えてくる。
大雪から
数年前に降った大雪とは比べるまでもないが、そこそこに今年は雪が降っている。
自宅前には融雪装置がついているので、車が走る分は雪が積もってはいない。
だが、歩道には雪が積もる。
歩道の除雪は各家が自主的に行っていて、雪国の歩行者の安全を確保している。
路肩の雪はそのままでは溶けることがない。
田舎では自動車は必需品なので、車庫前の路肩と、車庫入れに必要なスペース確保のための除雪は必要だ。
正直なところ、地方都市にはこのままでは未来などない。
自助努力、共助、公助などと言う予算削減が主目的だけの方針にどれだけの人が納得しているのだろう。
自助だけで生活するには共助には優先順位を示す必要がある。
地方議員は頭が良い。
というか、所属政党の経験の積み重ねがムダに良いのだ。
地方都市は子育て政策を必ず柱にする。
たいがいは、医療費用の無償化期間を長くする政策だ。
だが、考えてほしい。
人間は、3歳くらいまでは病気になりやすいが、それ以降になると余程のことがない限り、病院にはかかりにくくなる。
健康な高校生くらいまでの医療費を無償化したところで、増加する医療費負担などたかが知れている。
何故子供が増えないのか。
教育費用がかかり過ぎるからだ。
学歴に応じて歴然と収入差があるのだから、学歴が必要だという判断は当然。
どんなに仕事ができないとして、同じ仕事をしていても、給与の差がある現状はいつまで続くのだろう。
日本で本当の実力主義が浸透するには、この国が世界のGDP100位とかになって、国家が破綻しない限りは無いのか。
ほとんどが努力する力を測るためだけの、学歴社会ってのは理想であり、本質なのかね。
ある意味では、弱くて資産を持っているところから資産を奪うのは人間の本質。
詐欺師に取られるくらいなら相続税90%、贈与税70%、この位のことを言ってのけ、優秀な人間はこれらの大学出身者だけで、この大学出身者以外を雇うくらいなら、この高校卒業者を採用することを推薦すると言ってのける政治家は出てこないものか。
2021年が始まる
大晦日や元旦に特別な意味は無い。
生命的には、昨日と今日は単に連続した時間で、予め期限が決められて生きているわけでない。
年をとると1年が早く過ぎたように感じる。
思うに、新たに覚えることとか新たに経験することが無くなると人は単調に日々過ごし、その結果一年があっという間に終わった気になってしまうのだろうか。
一方で、歳を重ねると新たに何かを始めて継続することも難しくなる気がする。
歳をとるほど、目標を立てていくことが重要かも知れない。
そして、その目標が達成できたのかを振り返ることが大切で、そのための努力、工夫をした過程が困難だが重要。
2020年が終わる
今年はオリンピック。
東京オリンピックが開催されて、日本勢の活躍にテレビに釘付けになった。
コロナさえ無ければ、こんなことを書いていたはずだった。
釣りは6回くらい行っただろうか。
キス釣りに関しては、満足いく釣果は無かった。
海老江海岸に粒子の粗めの土砂が入って海底が変化したせいか、極上のポイントが極端に狭くなった。
太田マリーナには1度も行かなかったので、状況がわからない。
国分港はボチボチだった。
ハゼ釣りは氷見の阿尾川で安定した釣果。
正月の甘露煮もハゼで準備できた。
そして、カワハギは能登島で50枚の大満足の釣果。
仕事は今年もインフラ評価。
家庭菜園は、イチジクが収穫できた。
久々のカボチャは失敗。
長ネギ、ジャガイモ、玉ねぎ、プチトマトも失敗。
全体的に不調だった。
来年はどうなるやら。
大漁と呼べる釣り
子供の頃から釣りをしているが、大漁だなぁと思ったことは数えるほどしかない。
いや、1度しかない。
自分が大漁だと思うのは、もう釣り飽きた、釣らなくてもいいや、と思えるほど釣れたときなので、記憶にある限り大漁は1度しかない。
その1度しかない大漁は、ヘラブナ釣りで、総重量20キロを超える釣りをしたときだ。
ノッコミと言われる時期に、タイミングがハマった時に一度だけ大漁になった。
シロギスにしろ、ハゼにしろ、サヨリにしろ、50尾を超える数釣りをしても大漁だと思ったことはない。
考えてみると、釣った魚を重さではかるなんてことはあまりないと思う。
1尾だけを評価する場合以外、釣果はたいがい数でやる。
魚の重量は体長に対して3乗して増えていくと考えている。
例えば、10センチのキスと20センチのキスでは1尾の重量は8倍違うと言うことだ。
どれだけ小さな魚を多く釣ったところで、全体の平均長が倍の魚を釣った人に比べ、8分の1の重量しかない。
これが可食部の重量になると更に少なくなる。
自分はけして大物釣りが好きなわけではなく、どちらかと言えばアタリが途切れずに続く釣りが好きだ。
となれば、どうしても小物で数釣りが増えてしまう。
しかしそれでは大漁の満足感は得られない。
悩ましいが、来年は大漁を目指す。
とは言っても、大漁だと魚の始末がタイヘンなんだよね。