富山市の空襲は8/2にあった。
当時は正確な飛行位置がとれずに、パイロットの目視で爆撃目標は判断されていたらしい。
富山市に爆撃を実行するにしても、空からの地形確認を目視で行っていたわけだ。
富山市に軍事拠点があったわけでもないし、空襲された多くの都市も軍事拠点があったわけでもない。
どちらかといえば、高岡市の方が港湾もあり、軍事的な攻撃目標としては理にかなっていた気もする。
そもそも何故に、民間人を標的とした空爆が行われたのか?
表向きの理由は、当時の全ての日本国民は戦闘員として捉えられていたからとなっている。
竹槍で本土決戦に挑もうとしていたことが、日本に上陸して占拠行動を取る際に戦闘員と見做されたということだろう。
しかし、当の日本国民は、本当に竹槍での戦闘を行うつもりだったのだろうか?
今となっては、国民の真の総意はわからないが、もしかすると本当に玉砕覚悟での戦闘をするつもりだった国民が多数を占めていたのかも知れない。
であるなら、空襲による攻撃は正当なものとなる。
何故日本は敗戦ではなく、終戦という言葉を使うのだろうか?
これは、当時の日本国民の大多数が戦争の終結を望んでいたと刷り込むための言葉だろう。
ポツダム宣言を受諾した玉音放送では、耐え難きを耐え、偲び難きを偲びと言っている。
待ち望んだ戦争の終結であれば、待ちに待った終戦ですという放送がされるべきだろう。
富山市では空襲の前日に焼死者で埋め尽くされたとされる神通川で盛大な花火大会が開催される。
新聞記事では、空襲の悲劇を忘れずにとか、そんなことが毎年書かれている。
犠牲者を多数出した悲劇をお祭り騒ぎの花火大会で振り返るなど、日本人は本当に恐ろしい民族だと思うのだ。
米国でおそらく、唯一民間人の犠牲者が出たと思われる真珠湾では、毎年追悼式典が行われるが、広島や長崎の式典のように厳かなものだろう。
それが、正しい在り方だ。