国民とは

夕方のニュースで、地方議員や首長の統一教会からの選挙支援や、国会議員のパー券裏金問題を叩いている。
正直なところ、これが選挙前にわかっていたなら議員も首長も顔ぶれが変わっていたかも知れない。

ニュース報道では、裏金だとわかった時に、地元の国会議員達はふたりともその金は使わずに金庫にしまってあると言った。
つまり、彼らにはそのお金は明らかに色の付いたものだったわけだ。
先日収支報告を訂正したが、その金がいつ入金されたのかは日付が不明だとしている。
表にできない金だから帳簿には一切記載せず、現金のまま金庫に保管していたと思わざるを得ない状況なのだが、当の議員は蛙の面に小便。
本当にいつ入金されたのかもわからず、帳簿上存在しない金だったとしたら、その金は誰かが勝手に使っても誰からも文句を言えない金だったことになる。
だが、もしもその金を秘書なり会計業務担当者が勝手に着服してしまっていたら、一体事態はどうなっていたのだろう。
党からはキックバックしたと言われるが、その日付はわからないのだから、そんな金は受け取った事実は無いのだと派閥の会計責任者に言うことだってできる。
今時点でもそんな金は見つからなかった、わたしはそんなお金は一円だって受け取ってはいないと言い切ることだってできそうだ。
そもそも、年度をまたいで会計で帳簿の金額と実際の現金が合わないなんてことはあり得ない。
もしも計算の合わない金が見つかったのなら、それは確実に正しく会計処理できない金だと後援会含めた全員が認識できないとおかしい。
国会議員が正しく会計しないのならば、確定申告なんてしたくないと言う人も大勢いる。
気持ちはわからないでもないが、全ての公的なものを頼りにしないで生きていけるのならば、日本から出ていけば良い。
それができないのなら、どれだけ搾取されようが、嘘をつかれようが、課せられた義務を守り、為政者のために生きていくしかないのだ。
それが、国家である。
全ての人々が平等であるなどという嘘をあたかも真に受けているフリをして生きていくのが、国民なのだから。
とりあえず、戦争時のように国民に死ねと言っていた時代よりはずいふんとマシだ。