オミクロン株による感染者増加

感染力がデルタ株よりも強いが、重症化率が低いとされるオミクロン株。
それの、感染者がジワジワと増えてきている。
世界的にはオミクロン感染者が爆発的に増える傾向にある。
日本ではまだそこまでの流行期にはなっていないが、時間の問題だと思われる。
飲食店や娯楽施設の営業存続が危ぶまれている状況は変わらない。
一方、補償金で焼け太りした飲食店もあるという。
橋本弁護士が、コロナによる感染拡大を防止するためにも、飲食店の営業を中止して補償金を払えば良い。
そのためのお金が足りないのなら、国債をバンバン発行すればいい。
世の中を流通するお金が増えれば、物価が上がりインフレになるとかも言っていた。
コロナは季節性でもなく、常に変異し続け、重大リスクとなる危険性の高いウイルスで、地球上で人類に対する唯一の天敵とも言える。
ワクチンによる感染防御の効果は認められるが、イニシアチブはウイルス側にあると言わざるを得ない。
万が一、コロナウイルスが変異してあらゆる動物がキャリアになり得て、家畜などに対して致死率の高いものになったら。
人類は滅亡しないまでも、壊滅的な打撃を受けるだろう。

2022年明けました

今年は、雪で始まりました。
2021年のクリスマス後の雪が無くなって、大晦日からまた降り出した。
腹を立てる人もいると思うので、最初に。
年末年始には、子供たちが帰省しました。
コロナウイルスが少し落ち着いたと思い、帰省を決めたのだと思いますが、このところオミクロンの感染者が徐々に増えてきています。
2022年の1月末頃から、第6波の感染がおきることが心配ですが、こればかりはどうなるかわかりません。

記憶というのは曖昧なもので、少し経つと記憶の輪郭がぼやけて、次には正確性が怪しくなる。
そんな状況だが、高専時代の数学教授が、言った一言が今でも記憶に残る。
その頃の自分たちは物覚えの悪い出来の悪い学生だったのだろう。
お前たちはすぐに忘れて幸せだね。
人間は忘れることができるから、生きていけるんだ。
考えてごらん、何でもかんでも忘れることができずに全て記憶していたら、それこそ頭が変になるよ。
2022年の記憶が曖昧なもので済むということは、平和な一年だったということ。
3年ほどで何があったか忘れてしまうような一年になればいい。

2021年を振り返る世の中編

2021年は本来夏季オリンピックのある年ではない。
コロナウイルスにより、2020年に開催予定だった東京オリンピックが中止でなく、1年延期になったからだ。
しかも、試合は一般客の観戦なし。
オリンピックの開催に関しては、その会場をレガシーとして残すなど、小池語録が耳にも鼻にもついた。

地元では市長が交代した。
保守分裂選挙で県連の推薦でない候補が勝った。
市議会議員選挙では芸能人候補がトップ当選した。

年明けには大雪で道路の除雪が間に合わずに車が大渋滞になった。
除雪体制の見直しがされることになった。
そう言えば、特定の道路では冬季降雪時にスパイクチェーンの装着が義務付けられたが、あれはどうなったのだろう。

来年を振り返る時に、コロナウイルスで世の中どうなるだろうかと心配したが、収束して良かったと書きたいものだ。

2021年を振り返る個人編

2021年は個人的には平穏無事に過ごせたと言ってもいい。
5年半続いた大手IT企業との契約が年末に終了した。
外部発注を減らすために、サポートデスク対応の夜勤がある部署とごく一部のみしか社外の契約は残さなかったのではないだろうか。
契約終了の後始末のために在宅ワーク前の作業場所に行った時に、かつて作業していたフロアにいたのは10名ほどだけで、在宅ワーク移行前の10%ほどだろうか。
在宅ワークが増えることでプロパーの原価として負担する間接費用が減らせることで、外注費用との差額が小さくなったこと、外注費用という現金支出を減らすことによるキャッシュフローの改善など、理由はたくさんある。
技術職をリモートワークでどれだけ1流に育てられたかが、10年後にボディブローのように効いてくる。
オンラインで技術者を育てること、オンラインで作業者に的確な指示を出せることが、企業の明暗を分けることになるだろう。

釣りは晩秋のカワハギを除けば、満足できる。
回数もしかり、タックルの充実もしかり。
ロッドは2本、いずれもベイトロッド。
ロクテンと言われる長さの硬いロッド。
ロクヨンのフィネス用のロッド。
リールはひとつベイトリール。
海でしか使わないので、廉価な国産メーカーのものを買って、ベアリング追加とブレーキマグネットの追加。
なかなかいい感じになっている。
クーラーボックスも新調。
座れるもので、断熱改善もして、釣り用にロッドを立てることができるようにして、エサ箱も取り付けられるようにした。
回数は14回。
新たな釣り場開拓は正直なところ微妙。
来年も引き続いて、海老江海浜公園は要チェック。
サーフからのキスも何箇所か試してみたが、満足な結果は出ていない。
ハゼは今年も鉄板ポイントは変わらずの釣果。
カワハギは最悪。
2回行ったが、いずれも惨敗。
さすがにボーズはないが、ストレスの溜まる結果だった。

最後に読書。
読書管理のサイトでは年間の読書数を確認。
134冊読んでいる。
この記事を書いているのは12/29なので今読みかけのものを含めれば135冊読んだことになるだろう。

コロナと受験

コロナ感染者の濃厚接触者であった場合、大学受験できないと発表したが、すぐに撤回された。
当然のことだと思う。
その一方で、大学受験できないと発表した文科省はすごいなとも思っただけに、あまりにも簡単に撤回した理由は何なのかと勘繰りたくなる。
どこかの圧力なのだろうことは想像に難くない。
愚策だったと気付いたから取り下げたのか?
もしそうだとしたら、それはそれで発表に至る経緯が何なのかと思う。
こんなことをしているから、政府が信用されないのだ。

歩道の確保

自宅から歩いて5分とかからないところに小学校がある。
自分の母校でもあり、子どもたちの母校でもある。
児童の減少で、中学校と1つになった学校になる。
さぞかし巨大な学校に生まれ変わるかと言えばそうでもない。
学年で2クラスもあるかどうか。
それでも、小学生の通学路になると思うので自宅前の歩道は除雪する。
田舎なので、自動車での生活になっているから歩いて移動する人は少ない。
小学生が通学路に使うからせめて自宅前だけはと歩道の除雪をする。
車道は融雪装置が付いているが歩道は降った分だけ雪が積もる。
雪の処分は大変で、比較的車の往来があり、融雪装置の水がでる車道の雪は溶けていく。
市の広報では、雪を車道にまかないでくれとなっている。
雪が凍結したりして、車の通行に支障が出ると困るからだ。
それはわかるが、歩道の雪はどうしろと言うのだろう。
水道水で雪を溶かす家もあるが、そんな家は大概は井戸があり、それで水を撒く。
井戸水は水温も高く、雪がよくとけるからだ。
実は井戸水は無料ではない。
井戸水であろうと下水として処理されるのだからと、井戸水のメーターが付いているとか。
自宅に井戸水はないので実体は知らないが、そうらしい。
歩道を除雪できるのも、自宅横の細い側溝に融雪装置の水が流れてくるので、そこに雪を入れることで雪の処分ができるからだ。
だが、その側溝も水量が豊富なものではなく、チョロチョロと流れる程度で側溝に雪を入れればすぐに溶けるわけでもなく、時間をおいて下にできた空間をスコップで崩して少しずつ少しずつ溶かしていく。
自宅前とはいえ、歩道を確保する理由が無くなれば誰も除雪しなくなるだろう。
今でさえ、人が住んでいても歩道の除雪をしない家がある。
結局、ずっと歩道を通れないならと車道を歩く人が出てくるので歩道の除雪は無駄なことなのかも知れない。

大雪警報

今年の1月の大雪の教訓から、道路の除雪体制が変わった。
クリスマスから大雪警報が出て、平野部で50-60センチの降雪量となっていたが、実際の積雪は20センチほどだった。
除雪については、書きたいことが山ほどあるので、別記事で。

インスタントじゃないコーヒー

インスタントコーヒーは手軽で便利だけど、今ひとつコーヒーを飲んだ感覚に乏しい。
かといって、コーヒーメーカーで淹れると複数杯淹れるので、あとから飲もうとなるものは、味が落ちてしまう。
前々からカップにセットして一杯ずつ淹れるコーヒーが良いなと思っていた。
お値段も高くないし、一杯ずつ作るので濃さもその時の気分で変えることもできる。
そんなドリップを買って使っている。
一杯分のコーヒー豆で美味しいコーヒーを一杯ずつ飲めるのでお手軽で満足度も高い。
毎日朝と夜に豆からコーヒーを淹れて、それ以外で飲むときにはインスタントと飲み分けている。

正しい知識を正しく学ぶということ

何かをする時に、経験に基づいて習得する場合がある。
習うより慣れろと言う言葉があるように、間違いとは決めつけられない。
だが、歳をとってきた今、習うより慣れろではなく正しい知識を正しく学び理解することが重要だと痛感する。
特に技術的な物事に対して、習うより慣れろはあり得ないことなのだ。
何故こうなのかということを理解して習得したことと、経験に基づいて習得したことのどちらが、より記憶に残るのか。
覚えることと、忘れることが同じくらいになってくるとどのように忘れないかということも大切だが、忘れたことをどのように思い出すかも重要なことになる。
まず、最初に思い出しにくくなるものに人の名前がある。
これは、その人との共通体験や親交など、習うより慣れろに近い覚え方をしていることが理由なのではないかと考える。
人名と同じように元素の名前などと言うのもそれ自体に意味は無いが、元素記号の8番目くらいまでなら覚えている人も多いのではないだろうか。
これは、ひたすら順番を反復して覚えた人よりも、語呂合わせというテクニックで正しく学んだ人のほうが覚えているのではないだろうか。
つまり、何が言いたいのかというと、高齢になるほど、慣れて学ぶのではなく、正しく学ぶことの方が効率的だということだ。

テロの量刑

大阪でビルに放火して、25人が死亡した事件。
この事件はテロではなく、大量殺人事件に分類される。
テロとは背景に政治的な思想がある。
と定義されているようだ。
テロは未遂であっても、極刑となる国が多い。
最近では死刑が無い国も増えているが、日本ではテロでは無いが外患誘致で起訴された場合、求刑選択は極刑しかない。
量刑に幅がある刑罰は過去の判例によりおおよその量刑が決定される。
司法試験に臨む人は、法令を覚えるだけでなく過去の判例も覚える。
有名なところでは永山判決という、死刑の基準となるものがある。
明確な先例の無かったときにこの判決を出した裁判長はまさか、自分の下した量刑が死刑の基準になるなんて思ってもいなかったのではないだろうか。
今回の事件では間違いなく死刑が求刑される。
問題は、刑法39条。
当然弁護側は刑法39条の適用を求めてくる。
精神喪失、精神耗弱による責任能力の欠如だ。
精神鑑定は、身体的な病変部位が確認できるわけではないので刑が確定するまでの時間が長引く。
さらに、日本の場合は量刑の確定と死刑執行は連動していない。
死刑の執行は法務大臣に任されているので、死刑反対派の法務大臣の場合、その人の在任中に死刑が執行されることは無い。
基本的に、服役中はその健康管理は国の責任で行われるのだから、おかしな話だが死ぬまで健康でいられるわけだ。
今回はテロではないが、永山基準でも確実に死刑となる。
他人を巻き込んで死のうとしたのか、他人を殺して自分は助かろうとしたのか、犯人は意識不明の重体なので、取り調べは回復を待ってからとなる。
やるせない事件だ。