2024桜

今年は少し腰が痛くて、桜を見に行くのは難しいかなと思っていた。
コルセットをつけて、一週間ほど過ごして痛みが和らいだ日曜日に桜を見に行った。
今年は、呉羽丘陵で旧8号線に架かった横断吊橋から見ようと行ったのたが、半分ほどは葉桜になりつつあり、満開の桜を満喫することはできなかった。
毎年、あと何度健康に桜の花を見ることができるだろうかと考える。
汗ばむほどの天気に恵まれたが、帰ってからは疲れて昼寝をした。
まだ老いたというほどの年齢ではないが、若いとも言えない年齢を感じる。

ステレオタイプ

失言を責められていた静岡県知事が、辞任を表明した。
身勝手だとか色々言われているが、税金を払う県民からすれば当然の意見だ。
県職員の入庁式で新職員に対して、君達は頭脳労働者で野菜を作ったり、牛を育てたり、物を作る人達とは違い優秀なのだと言った。
彼の頭の中では県職員は知的労働をする人という、間違ったステレオタイプがあったのだ。
学者さんの知事らしいが、彼の理屈では静岡県民と東京都民では首都に住む都民の方が格上となるのだろうか。

ドメイン管理会社の変更

独自ドメインを取りましょう的な時代の時には、ドメイン管理料金は.comとかなら年間1000円未満で維持できた。
少しずつではあるが、更新料は上がっていき、今までの管理会社では年間1800円ほどまでに上がった。
今後も値上がりしそうだと思った時に複数年で更新したのだけれど、一度ドメイン更新を忘れて失効してしまったので、時々有効期限をチェックしている。
今年の12月の期限であるドメインを忘れないうちに更新しようかと思ったが、サーバー提供しているコノハでもドメイン管理ができて、年間更新料金が500円ほど安いことに気付き、こちらに移管することにした。
whois情報を代行から変更すると、それこそ速攻でスパムメールが送られてくるが、管理者メールアドレスはすでに迷惑メールがウジャウジャ送られてくるので、気にせず公開して手続き中。
移管時に、1年分の更新料が手数料として徴収されるが、期限延長を兼ねることになるので気にはならない。
googleのドメイン管理サービスを検討していたこともあったが、いつの間にかこのサービス提供は終了していた。
googleのサービスだから大丈夫なんてのは胡散臭い神話でしかないのだ。

日本のエンジニアの給与が安い件

日本人ITエンジニアの給与が低い、中国のエンジニアの7割の年収しかないと書かれたメルマガが配信された。
じゃあ、日本の農業従事者の年収は、中国のそれと比べたらどうなのかとか、そんなことを疑問に思った。
仮に、日本の農業従事者の年収が中国での農業従事者の1.5倍だったとしたら、日本ではITエンジニアよりも農業従事者の方が魅力的な年収なのかというと、それは一概には言えないだろう。
日本のエンジニアの給与水準が低いのは今に始まったことではない。
終身雇用ありきだった時代であれば、給与の伸びが期待できたし、とりわけITエンジニアは若い人が多く、将来の給与水準など推測できなかった。
それが、今ではかつてのSE35歳定年説など、何処吹く風。
人生100年時代などと言って、年寄りのIT技術者が増えているというか、不人気の職業として若者が憧れる職業などではない。
同一労働同一賃金が本当に実現したら、作業効率だけで得られる金額が決まるのだから、年齢の高い労働者は得られる収入が少なくなる可能性が高くなる。
収入カーブは40代前半をピークにするカーブを描く。
となると、子供を社会人にするまで育てたり、自宅を購入するなどはせいぜい50歳までに終わらせたうえで、少なくなる収入から自分たちの老後資金を確保しなければならない。
子供を設けるのはせいぜい、30歳までに終わらせるように人生設計しないといけない。
そんなことは実際にはかなりハードルが高い。

こうしなければいけない。というのは概ね企業の立場で決められるものだ。
生き残りができない、落伍者が生まれるのは成長する社会では必要なことであり、弱者が生きづらいのが普通のことなのだ。
自国民の弱者までもを救うことができる国というのは、その国が他の国から搾取したりしないと成立するのは難しいと考えるのだけど。

原発再稼働

各地で原発が再稼働する。
電力会社は円安で輸入燃料では赤字になってしまうし、ソーラーパネルでの発電も値段が下がったとは言え買い取らなくてはいけない。
政府としてもライフラインの国民負担金が増えるのを抑えないと、増税できないからせめて電気料金だけでもとの考え方があるので、再稼働には反対しない。

電力は地産地消ではない。
人口の多い地域に、人口の少ない地域に作った発電所から電気を送る。
原発は二酸化炭素を排出しないクリーンな電力だと言うのは、けして間違いではない。
ただ、事故が起きた時にはまさに致命的な問題を起こす。
そのリスクを無くしたいのであれば、高い電気料金は認め、二酸化炭素濃度を高める生活を継続するしか無い。
結局最後には、地球の資源なんて使ったもん勝ちなのだ。
世界中の一部の人間が二酸化炭素排出量を減らすためにやった努力とその成果は二酸化炭素排出の削減をした人間ではなく、二酸化炭素の削減など気にせずに自分たちの快適な生活を優先した人たちがその恩恵を享受する。
未来の子供たちのためにやれることをやりましょうなんてのは、ただの欺瞞だ。
資源を使って、富を蓄えたものが最後には笑うというのは、地球上の歴史でも繰り返されたことで、未来永劫変わることはない。
最終的に人間が住めなくなる地球の未来は、全人類に平等に訪れる。
新たな環境に適合した生物が人類の滅びの後に、この地球上に生き残るだけの話だ。

ゼロカーボンシティ

新聞の受け売りなのだが、全国の自治体でゼロカーボンシティを目指すとしているところが相当数あるそうだ。
要は、太陽光発電など二酸化炭素を発生させないで作られた電力を使うことで、ゼロカーボンという理屈のようだ。
太陽光発電で作られた電力は、そのままそこで消費されて、需要を満たすだけては残念ながらゼロカーボンとは言えない。
電力以外に水道を使っても、電力は使われているのだからそれも含めた電力を賄う必要があって、その分は発電した余剰電力を電力会社に売電する必要があるし、地産地消するならば電力供給網の整備が欠かせない。
だが、電力供給網について整備する、整備することを想定していないと答えた自治体は85%に上る。
確かに、僅かな発電で送電網を整備することは経済的観点からはナンセンスではあるが、何のために自治体がゼロカーボンシティを目指すのかを考えた時に、政府補助を使って地元企業にお金を回すことが最重要なのだから、自治体向け補助が出ない電力供給網整備などやるに値しない事業であり、本格的整備ができなくても、局所的に補助金を引き出して、自分の選挙を応援してくれる企業に餌をやることに意味があるというわけだ。
生物はどこかでその種の愚かさの壁がある。
その壁で地球上の主役たる生物は入れ替わって来た。
小さなところでは、セイタカアワダチソウは旺盛な繁殖力で生存域を席巻するが、繁殖しすぎるとその生息域の栄養分を使い尽くして、やがてその姿を消してしまう。
セイダカアワダチソウには繁殖が過ぎると、自分たちが消え去ってしまうことなどわかるわけがない。
人類も愚かだからこそ、地球上を席巻し、やがては消え去ってしまうのだろうか。

政権交代と息巻いてみても

パーティ券の裏金問題で、野党は政権交代と息巻いているが、政権交代の芽を摘んだのは、かつて政権交代でまともな運営ができなかったのが原因である。
国民が望むのは、もはや政権交代だとか二大政党体制ではない気がする。
単独過半数で議案を全て成立させることがなくなり、緊張感のある国会議論をしてほしいと願うのは国民の半数を超えると思っている。
全ての提出議案に反対することを期待はしていない。
それこそ、是々非々で国民が納得する議会制民主主義を実現してほしいだけなのだ。
今の状況では一党独裁体制と言っても過言ではない。
自民党公認にさえなれば、選挙に落ちたら議員はただの人などという例えはほぼ当てはまらない。
結局、日本人は強いものに巻かれて生きていくのが好きなのだ。

もしトラなどという言葉があるが、そのせいで大増税になろうが、年金制度の崩壊が早まろうが、強いものを応援していたのだから守ってもらえるのは当たり前で、守ってもらえなかったら、もっと強い何かに邪魔をされたのだから仕方が無いと考えられる国民性を持っているし、貧困で死ぬなどは自分には当てはまらないし、貧困なのはその人に責任があり、当然の結果だと考える人が多数だ。

何しろ、たった450年ほど前までは平気で近隣の集落の人を殺害することも、人身売買することもしていた国民であり、強い者が弱者から奪うことは当然だった。
美しい国なんていうのは、強者が作ってくれた文化の名残でしかない。
明治時代に初めて名字を得た大多数は選挙権を得たことの重要性も何もわかっちゃいない。
今でも、かつての薩長、とりわけ長州が日本のリーダーであるのは、当然の帰着であり、総理大臣を排出できていない道県は、明治維新当時に力を持たない藩があてはまるのは仕方が無い。

二束三文

TVの買い替えでラックを自作するにあたり、学生時代に買い求めていたLPレコードが邪魔になったので処分した。
TVコマーシャルをしているバイセルで査定すると49枚のLPレコードの買取価格はまとめて2000円。
1枚あたり40円。
当時の平均で1枚3000円ほどだろうか。
学生の少い小遣いでコツコツ買い求めていたもので、2枚組とかのものもあるので、購入総額は16万ほど。
それが2000円の値付けなので、二束三文。
故買というのは、そういうもの。
確かに売れるかどうかわからないものを仕入れるのだから仕方ないが、学生時代の思い出が2000円とは、ガッカリ。

免許証の更新

いつもは、仕事を休んで更新しに行くのだが、今回は日曜日に富山の更新センターを利用した。
ここだと、当日に新しい免許証を交付してくれるので、ありがたい。
地元だと、後日郵送するか警察署に取りに行く必要がある。
自営をしていて、請負仕事をしていると休みを取りにくい。
多分会社員の時よりも、年間の休日は少い。
いわゆる、有給休暇に相当するような平日に休むというのは、その企業の一斉取得有給以外だと、年間に1日か2日取るか取らないかになる。
月間のレンジになる労働時間を超えると、追加請求が発生するので、超えそうな時には半日休むとかそんな感じだ。

富山市の免許更新センターはなかなかに盛況だった。
更新のお知らせには更新費用として3000円となっているが、警察官の天下り先である団体への寄付金が、要求される。
要求されると書いてしまうと、そんなことはしてませんと怒られそうだが、更新時期の通知葉書があるのとないのでは、更新手続きのめんどくささが違ってくるし、断りにくい空気があるのは間違いなく、こちらを含めると4500円が総額でかかる。
この金額を通知のハガキに書いてしまうと、色々問題が発生するのだろうが、ギリギリのお金しか持っていっていない人は困ってしまう。
免許なんかなくても、問題ない暮らしがベストなんだけどね。

裏金議員の処分決定

裏金の金額に応じて、議員に対する処分が決定された。
全てを一律に厳重処分することはできないから、どこかで線引する必要があることに対して理解を示す国民もいる。
確かに、日本の罰則には定量的なルールが決められていると言える。
例えば殺人事件では、1人を殺害しても死刑にはならない。
だが、2人殺すと死刑になる。
被害者側から見れば、殺された1人が家族だった場合には量刑判決に納得できるわけがない。
しかし、現実は定量的なルールで罰則が決められる。
パーティ券がたくさん売れなくて公認されないなどの自民党議員にとった最悪の処罰とならず助かった議員はラッキーだった。

自分の勤めている企業がコンプライアンス違反をして得た金を給料に反映していたら、そのお金は受け取れないと言う人は少いだろう。
政治家はあくまで職業であり、国政運営を担う大小の企業が政党に該当すると考えればいい。
やっかいなのは、企業がコンプライアンス違反でお金を得たことを裁く組織はあるが、政党に対してそれを裁く制度は選挙しかなくて、選挙権を持つひとりひとりがその権利を行使できる唯一のものなのに、あまりにもひとりひとりの持つ力が小さすぎて、権利を行使するという感覚を持てないというとこらだろうか。
いっそのこと無作為の抽選で選挙権を与えて、100人ほどの人間の投票だけで議員選挙を行い、議員が問題を起こした場合にその人に投票した人にも刑事的な連帯責任を負わせるとかにすれば良いのに。