帰省自粛

帰省せずに、人の移動を抑えることで感染の拡大を少しだけ抑える。
そうなったら既に人が密にいる地域は隔離病棟みたいなものだ。
人口比で感染者を比較すれば一目瞭然。
例えば、富山と東京の人口比。
ずっと10%ほどだと思っていたが、実際は8%しか富山には東京都に比べて人がいない。
東京で800人の感染者が出た場合に同じ感染者の発生率なら、64人。
実際のところ、そんなに多くの感染者は出ていない。
東京で毎日800人の新規感染者が出たら、それは東京の人口比で15000人に1人くらいになる。
これが一年このまま継続したら、50人に1人くらいがコロナに感染する計算になる。
5年継続したら10人に1人がコロナに感染したことになる。
これを隔離病棟と呼ぶのは言い過ぎな気もするが、もしかすると人は自分の意思で住むところを選べにくくなるかも知れない。
20歳の時点で、自分が住む場所を選び、死ぬまでそこから出ることができなくなったりして。
もちろん不治の病ではなく、治る人もいるので、世の中の10人に1人がコロナ感染中というわけではないから、相変わらずコロナに対する危機感は薄いだろう。
コロナ致死率が東京の平均年齢で1.5%程度ならば、5年間で18000人の死者。
若者の致死率は低いので、死ぬのは高齢者が中心になる。
つまり、人目につかないところでひっそりと人が亡くなり、感染者は高止まり。
たがらと言って人口集中に大きな変化が現れるとは思えない。
東京都の自殺者はザックリと5年間で10000人。
自殺者よりもコロナで亡くなる人のほうが多くなる。
でも、生活できなくなって自殺する人は増えるだろうから、どうなるだろうか。
ますます、弱い人間は生きていけなくなる。
今更自然の摂理にしたがうことになろうとは、考えたくない。
コロナ変異とワクチンのイタチごっこが今年始まる。
これに負ければ、人間は自然摂理に従って強者は富み生き残り、弱者は貧しく生き残れなくなる社会となることが見えてくる。

大雪から

数年前に降った大雪とは比べるまでもないが、そこそこに今年は雪が降っている。
自宅前には融雪装置がついているので、車が走る分は雪が積もってはいない。
だが、歩道には雪が積もる。
歩道の除雪は各家が自主的に行っていて、雪国の歩行者の安全を確保している。
路肩の雪はそのままでは溶けることがない。
田舎では自動車は必需品なので、車庫前の路肩と、車庫入れに必要なスペース確保のための除雪は必要だ。
正直なところ、地方都市にはこのままでは未来などない。
自助努力、共助、公助などと言う予算削減が主目的だけの方針にどれだけの人が納得しているのだろう。
自助だけで生活するには共助には優先順位を示す必要がある。
地方議員は頭が良い。
というか、所属政党の経験の積み重ねがムダに良いのだ。
地方都市は子育て政策を必ず柱にする。
たいがいは、医療費用の無償化期間を長くする政策だ。
だが、考えてほしい。
人間は、3歳くらいまでは病気になりやすいが、それ以降になると余程のことがない限り、病院にはかかりにくくなる。
健康な高校生くらいまでの医療費を無償化したところで、増加する医療費負担などたかが知れている。
何故子供が増えないのか。
教育費用がかかり過ぎるからだ。
学歴に応じて歴然と収入差があるのだから、学歴が必要だという判断は当然。
どんなに仕事ができないとして、同じ仕事をしていても、給与の差がある現状はいつまで続くのだろう。
日本で本当の実力主義が浸透するには、この国が世界のGDP100位とかになって、国家が破綻しない限りは無いのか。
ほとんどが努力する力を測るためだけの、学歴社会ってのは理想であり、本質なのかね。
ある意味では、弱くて資産を持っているところから資産を奪うのは人間の本質。
詐欺師に取られるくらいなら相続税90%、贈与税70%、この位のことを言ってのけ、優秀な人間はこれらの大学出身者だけで、この大学出身者以外を雇うくらいなら、この高校卒業者を採用することを推薦すると言ってのける政治家は出てこないものか。

2021年が始まる

大晦日や元旦に特別な意味は無い。
生命的には、昨日と今日は単に連続した時間で、予め期限が決められて生きているわけでない。
年をとると1年が早く過ぎたように感じる。
思うに、新たに覚えることとか新たに経験することが無くなると人は単調に日々過ごし、その結果一年があっという間に終わった気になってしまうのだろうか。
一方で、歳を重ねると新たに何かを始めて継続することも難しくなる気がする。
歳をとるほど、目標を立てていくことが重要かも知れない。
そして、その目標が達成できたのかを振り返ることが大切で、そのための努力、工夫をした過程が困難だが重要。

2020年が終わる

今年はオリンピック。
東京オリンピックが開催されて、日本勢の活躍にテレビに釘付けになった。
コロナさえ無ければ、こんなことを書いていたはずだった。
釣りは6回くらい行っただろうか。
キス釣りに関しては、満足いく釣果は無かった。
海老江海岸に粒子の粗めの土砂が入って海底が変化したせいか、極上のポイントが極端に狭くなった。
太田マリーナには1度も行かなかったので、状況がわからない。
国分港はボチボチだった。
ハゼ釣りは氷見の阿尾川で安定した釣果。
正月の甘露煮もハゼで準備できた。
そして、カワハギは能登島で50枚の大満足の釣果。
仕事は今年もインフラ評価。
家庭菜園は、イチジクが収穫できた。
久々のカボチャは失敗。
長ネギ、ジャガイモ、玉ねぎ、プチトマトも失敗。
全体的に不調だった。
来年はどうなるやら。

大漁と呼べる釣り

子供の頃から釣りをしているが、大漁だなぁと思ったことは数えるほどしかない。
いや、1度しかない。
自分が大漁だと思うのは、もう釣り飽きた、釣らなくてもいいや、と思えるほど釣れたときなので、記憶にある限り大漁は1度しかない。
その1度しかない大漁は、ヘラブナ釣りで、総重量20キロを超える釣りをしたときだ。
ノッコミと言われる時期に、タイミングがハマった時に一度だけ大漁になった。
シロギスにしろ、ハゼにしろ、サヨリにしろ、50尾を超える数釣りをしても大漁だと思ったことはない。
考えてみると、釣った魚を重さではかるなんてことはあまりないと思う。
1尾だけを評価する場合以外、釣果はたいがい数でやる。
魚の重量は体長に対して3乗して増えていくと考えている。
例えば、10センチのキスと20センチのキスでは1尾の重量は8倍違うと言うことだ。
どれだけ小さな魚を多く釣ったところで、全体の平均長が倍の魚を釣った人に比べ、8分の1の重量しかない。
これが可食部の重量になると更に少なくなる。
自分はけして大物釣りが好きなわけではなく、どちらかと言えばアタリが途切れずに続く釣りが好きだ。
となれば、どうしても小物で数釣りが増えてしまう。
しかしそれでは大漁の満足感は得られない。
悩ましいが、来年は大漁を目指す。
とは言っても、大漁だと魚の始末がタイヘンなんだよね。

世界のコロナ感染者8000万人

年内に8000万人を超えるという予想はその通りになった。
おそらく、年明け1月のうちに感染者数は1億人に届くだろう。
イギリスで変異種が見つかり、日本にもそれに感染した人が見つかった。
さらには、南極大陸でも感染者が出た。
どこまで、コロナは感染力を強めていくのだろう。
延期されたオリンピックをやるかやらないかは、いつ決めるのか。
流通はどうなるのか。
混沌とした2021年になることは仕方がないとして、明るい未来を示すことができるのは一体誰なのか。
結局人を動かすのは人。

冷凍庫

コストコで買い物をすると、食品の保存に困る。
困らない程度に購入すれば良いだけの話で、困ってしまうのは個人差だと言わないで欲しい。
コストコに限らず、業務スーパーでの買い物にしても、通常の購入よりも量が多く一度で食べ切れる量ではないので、冷凍保存する必要があるのだ。
そこで、冷凍庫を購入しようと目論んでいる。
サイズはドーンと200リットル以上にしてあおけば、肉だろうが魚だろうが、冷凍保存可能なものなら何でもこいだ。
こうなると、魚を大量に釣りたくなる。
数年前まで、キス釣りならば60とか70とか、陸っぱりで釣れたがここのところ、サッパリだ。
ピンギスばかり数釣りしても冷凍保存する価値がない。
そこそこのサイズのものを、干物に加工したうえで保存したい。
となれば、岡田釣具の貸ボートか。
真剣に数釣りを狙ったらどれだけ釣ることが可能か。
来年の楽しみが1つ増えた。
あ、だけどタックルはベイトタックルでやりますよ。
手漕ぎボートからなら、胴付き仕掛けか。
目指すは百尾。
二本針がいいか、手返し重視の一本針がいいか、身軽なタックルで最小限の荷物にするにはどうするか、楽しい悩みだね。

優生人類学

福井敏春の、終戦のローレライを読んでいる。
その中で、ドイツがとった優生人類学と言うのがある。
有名なところでは、ユダヤ人の大量虐殺。
純粋なドイツ人、アーリア人こそが優秀な人種でそれ以外の人種はアーリア人のために使役するのがちょうど良いと考える学問と言うか、思想だ。
コロナで1番恐ろしいのは、感染者による死者の増加ではないと思っている。
戦争は何故起きるのか。
一部、宗教などによる思想の違いが原因の場合もあるが、経済的な理由が圧倒的に多いだろう。
ドイツが宣戦布告したのも、日本が宣戦布告したのも、経済の逼迫が最大の理由だ。
じゃあ、開戦当時に国民の生活が困窮していたかと言うと、それは怪しい。
今の生活に不満を訴えられるのは、まだ訴えるということができる余裕がある。
本当に窮乏した場合、戦争末期の日本のように、窮乏を訴えることなどとうていできない。
敵国を鬼畜と呼び、自国民を精霊となる民族と呼ぶ。
ドイツほどでは無いにせよ、優生人類学がまかり通っていたと考えるのは、飛躍しすぎだろうか。
経済が先細り、ほんの少しだけ全国民が不満を抱える状態になった時に、誰かがチョット背中を押すだけで、世の中はおかしな方向に転がっていく。

包丁を買い替え

三徳包丁、昔の呼び名で言えば文化包丁を買い替えた。
下手くそながらも、包丁が切れなくなれば研いで使ってきた。
包丁を使っていて、握りの部分の指がまな板に当たるようになってきていた。
包丁の刃の部分が小さくなって、指が当たるようになったのだ。
魚を捌く出刃包丁や、柳刃もあるが、こちらは使用頻度が低いので、包丁が小さくなったと思うことはない。
刃渡りが同じだと思われるサイズの包丁を買って、大きさを比べると刃の部分が1センチほど小さくなっていた。
新しい方は刃の部分に反りがあり、まな板に刃を立てると先端と根本が浮くが、古い方はフラットになっている。
包丁を研ぐことで、刃がすり減ったのだ。
普通、包丁を買い替えるタイミングはいつなのだろうか。
妻と冗談で、このまま使い続ければ、ペティナイフくらいに小さくなるかもと話していたが、そこまで使い込むことはしないだろうから処分した。

米余り

国内での米余りが深刻な状況らしい。
余剰米に対して、作付面積の削減、いわゆる減反が進んでいないようだ。
水田で米を作らなくなるには、代わりのものを作らせなくてはいけない。
だが、補助金などを考えたときに米以上に魅力的なめぼしい作物がないから、転作が進まないのだろう。
家畜の飼料がほとんど輸入で賄われている状況なのだから、国産の飼料を使うことができれば、食料自給率は向上する。
だが、家畜用飼料を作っても国内の農家は生きていくことが難しいのだろう。
家畜用飼料が食用米よりも儲かるなら、農家はこぞって食用米の作付けから撤退する。
自家消費の米だけ作り、主食としての米が不足、結局輸入に頼ることになり、却って自給率が低下することになるかも知れない。
江戸時代とかには、米が取れなければ人はその分だけ死んだ。
動物性のタンパク質の十分な摂取などはそこそこに困難だったと思われる。
人口の増加には安定的な食料の供給が不可欠と考えて、安定的な食料自給を図った過去の人達にすれば、食料自給率と日本の人口の減少だけを見れば、日本人は痩せ細って栄養状態も悪いのだろうと思うかも知れない。
人口が増えないのは、社会的な理由で潜在的に飢餓に対しての不安があるからなのかも知れない。
子供を育てるのにお金が掛かり過ぎて、更に夫婦と子供だけという世帯構成で出生率など上がるわけがない。
苦労をかけて育ててもらい、ほとんど不自由なく大人になった世代が、親たちの面倒を見ることもなく、自分たちがわざわざ苦労して子供を育ててその子らに助けて貰えることが無いのは、自分たちで分かっているのだから、子供なんて要らないと思うのは仕方無いだろう。