9月入学

9月入学に大きく舵を切るかと思われたが、この話は無かったことになりそうだ。
休校による授業の遅れは、夏休みを削ってカバー。
土曜授業はやらない。
1日の授業コマも大きくは増やさない。
もちろん、それで遅れが取り戻せるという見通しがあってのことだろうが、再び長期休校となった場合、何を教えて、何を教えないのか、選択に迫られる。
教えられる側は、進学に必要な科目を優先させたい。
教える側は教師側の労働環境などの都合で選択肢を絞るだろう。
日本の義務教育制度は先進国の中では、それほど優れた優位性があるのだろうか。
ユーチューバーが憧れの職業の上位になる国の未来を不安に思うことはないのだろうか。
AIが人の仕事の半分以上を要らなくするのだから、働けなくても最低限の保証を行政が行わなければいけないのは、シンドイだろう。
働いても働かなくても大して生活の差がなくなって食べていくことに困らないなら、働かないという選択肢を選ぶ人が増えるのではないだろうか。
人にしかできないことが、生殖しかない。なんて世の中がきて、人自体がAI社会を維持するためだけに、メンテナンス要員の確保と、その人達の健康回復のための部品取りのためになるなんて世の中が実際にやってこないとも限らない。
今回の騒動で、人間の判断や行動の半分以上が根拠もなく間違いだらけだったということが、露呈したのだから。

緊急事態解除

緊急事態宣言が解除された。
新しい生活様式と言うように、人と接しない生活が推奨されている。
価値観も変わっていくのだろうか。
新型コロナウイルスによる肺炎を死に至る病と捉えるかどうかで価値観は変わる。
一昔前は日常に死と隣り合わせの病気があった。
もちろん今でも罹患すると、高確率で短期間で命を落とす病気はある。
ただ、その感染確率が今の生活の中では極めて低い。
少なくとも日本ではそうだ。
感染流行の第2波、第3波のことを言っている人もいるが、多分殆どの人はこの病気の現在の致死率から、自分が死の対象にならないと思っている。
かくいう自分がそうだ。
それよりも、この流行のせいで、ドン底の暮らしを強いられることの方を怖れている。
仕事を失い、食うに困るシチュエーションは想像できるが、自分が人工心肺に繋がれて生かされるシチュエーションは想像できない。
そんな都合の良い考え方ができるから、人間は繁栄したのだけれどね。

収束を使うようになってきた

新聞を読んでいて、最近ようやくコロナウイルスの収束と言うようになってきた。
拡がりを見せだしたころは、終息と書かれることが多くて、アホじゃないかと感じたが、考えてみれば発音は同じなわけだから、文字に起こした人が、発言者の意図する収束を勝手に終息としたのかもしれない。
発言する側にも少なくない責任はある。意味が似ていて発音が同じ言葉を選ぶことが良くない。
収束を言いたいなら、下火になるとかそんな言い方をすれば良いのだ。
などと考えていると、自分がひどく偏屈な人間だと思える。
多少の誤解があろうが、たどり着くべき結果が同じならそれで良いじゃないか。

家賃問題

休業要請で経営が成立たなくなる理由として、店舗の家賃が払えないというのがある。
例えば、家を購入してローンを組む場合には年収の20%を超える返済が必要な計画を立てることはできない。
2ヶ月で経営破綻するようなお店というのは、大いに問題がある気がする。
税前利益の20%を超える家賃負担のお店が2ヶ月もたずに潰れるのではないかと思うのだ。
無理をして高い家賃を払っても出店したいというのであれば、リスクは当然有り得る。
高い家賃を払っても、商売がうまく行けば問題ないので営業して下さいというのは、かつてのサブプライムローンと似た構造のような気がしてならない。
家賃収入を得ている側にも少なくない問題がある。
また、そのような構造を産み出す元凶である人口規模の格差が大いに問題である。
一定の人口密度がないと、人口の自然増はプラスにならない。
東京での人口増加における自然増と社会増はどうなのかを見てみると、自然増減ではマイナス、転入による社会増が東京都の人口増加を支えているのだ。
首都を成長モデルとして維持すべきだと考えるなら、地方で出生した人間は東京都にドンドン転入すべきで、地方都市が自然増減だけを見ればプラスになるように、東京都をはじめとする転入による人口増加となっている都府県が支援しなければいけない。
それが無理なら、住む場所の自由は認めるべきだが、どこで生活しようとも、出生地に対して生活地から一定額の支払いを行わなければいけなくて、しかもそれが移動している人の負担であるといった仕組みが必要だ。
人が集中しても、そこに税収が入らないようにすれば良いのだけれどね。

宝くじ販売の自粛

宝くじの販売が自粛されている。
オフィシャルサイトを見に行っても、いつも購入している売場での販売がどうなっているのか解りにくい。
みずほ銀行の宝くじ売場では、とかあきらかに銀行の売場は偉くて他の協力事業者はオマケ的な差別扱いでの情報開示。
以前も書いたと思うが、宝くじは公共ギャンブルなのだ。
しかも、胴元がアホみたいに鞘取りするギャンブル。
どうせなら、毎分抽選みたいなクジにして、シンプルに3択の抽選を10回予想させて、正解回数で金額を確定させるとかのクジとか出した方が、ギャンブル依存症の人達から沢山お金を巻き上げられるのにね。
さて、宝くじの販売再開ですが、やはりオフィシャルサイトから売場の稼働状況がリアルタイルで分かる方がいい。
コンビニを除外すれば、対面販売窓口の数は平成22年の総務省発表で19000ほど。
たかだかそのくらいの数なのだから、売場の稼働状況くらい楽勝で管理できない方がおかしい。
以前も書いたかもしれないが、宝くじの胴元の取り分は40%で、配当金は45.7%しかない。
そして、気になるのは、その他経費として1.6%が使われているところ。
多分これが総務省の天下り役人に支払われるお金だ。
コロナウイルスの影響かどうかわからないが、次回のジャンボ宝くじでは一等本数を大幅に増やすようだ。
せめて、この収益金が休業支援のためになるとかなら良いなと思うし、配当金の比率を大きくして、売上が落ち込んでいる宝くじ販売にテコ入れするとかにはならないものか。
公務員と政治家以外の基本的人権は保証しませんってのが日本の根底に流れているのかね。

国力の低下

国力を何で測るのか?
難しい話だが、最終的には人口なのではないかと考える。
ただし、人口と言っても労働人口だ。
経済力が国力だと考える場合もあるだろう。
どれだけ労働人口が大勢いても働くべき産業がなければ、豊かな国とは言えない。
現在、コロナウイルスでの死亡者は高齢者である確率が高い。
計算高いシンクタンクならこれは、どう考える。
青天井となる可能性のある社会保障費用を安全なレベルにまで減らすには、国民の何割がコロナウイルスに感染すれば良いのかくらいは考えてもおかしくない。
労働人口とならない人口が減ることは、国家経営を考えれば天啓なのだろう。
毒を食らって、生き残れる者だけで新国家を作ろうとでもしているのだろうか。
国力の低下を何で測るのか。

図書館の休館延長

高岡市の図書館は2020年の5/31まで休館延長となった。
ただし、予約本の貸出しは5/18から行うことになっている。
受け取り方法が不明だが、予約している本は2冊貸出可能になっているので、その本は借りられる。
ウイルスの死滅までだか不活性化までたかの時間が紙の表面では24時間。
金属、プラスチックなどの表面では2-3日らしい。
ただし、金属でも銅の表面では4時間でコロナウイルスは不活性化する。
効果の程は不明だが、小銭入れには10円玉を入れておくようにしている。
図書館で貸出される書籍の場合、予約貸出に限定すれば、返却から24時間経過してから次の予約者に貸し出すようにすればコロナウイルスの感染リスクはなくなるということだ。
ただし、本を扱う司書の方々の手を介した場合、感染リスクはなくならない。
手袋なりにウイルスが付着すれば、それで触れた本にはウイルスが付着してしまう。
貸し出す際に紫外線殺菌するなどすればリスク回避は可能になる。
なぜ携帯可能な紫外線殺菌装置が流行らないのか、理由がわからない。

中国の研究機関

アメリカのトランプ大統領はコロナウイルスが武漢のウイルス研究所から流出したものだと言っていた。
これは、秋の大統領選挙を見据えてのパフォーマンスと見る向きも少なくはない。
どのように、ウイルス研究所から流出したのかを証明することは不可能に近いだろう。
例えば、コロナウイルスをいくつかの株に分類できたとして、世界中で流行しているウイルス株と同じものが、研究所から見つかったとしても、中国国内の罹患患者から採取したものだと言ってしまえばそれまでだ。
遺伝子操作により人工的に作られたウイルスだと言うことが確実に証明できたとしても、それで中国に対して賠償責任を求めるための証拠は充分でない。
これが、中国製品が粗悪で価格だけの理由で世界に輸出されていた時代であれば、中国を世界のマーケットから締め出すことは容易だったかも知れない。
しかし、今や中国は世界のサプライヤーとして重要なポジションを掴んでいる。
いずれ、中国は知的財産権を主張する国家になることは想像に難くない。
同等の教育を行った場合に一定の割合で等しく優秀な人材が排出されるという仮説が真であるならば、国力とは人口に比例することは間違い無い。
発展途上の時代に、先進国を真似て義務教育制度を導入し、さらに高等教育を推し進めたことによる日本の他国に対するアドバンテージはもはや技術の蓄積という優位性でしか残っていないと考えなければいけない時代がすぐそこまで来ている。

緊急事態宣言の延長

2020/5/31まで延長された緊急事態宣言。
5/14に判断し、予定前に終了することもあるとの政府発表だ。
北海道では流行の第二波だと言われている。
実は流行性の病気は、第一波よりその後の方が大規模になると言われている。
SARSの時に最も感染者が多かったのは第5波の時だったそうなので、流行の収束判断はいつ、どのように行うことができるのか難しいだろう。
経済による死者数も今後増えていくことが予想される。
国内の自殺者の数は平成27年からは30000人を下回っている。
この数字が令和2年にどのくらいになるのか、全く予想がつかない。
この増加数が、コロナウイルスによる死者数を超えるなら、それは政治による犠牲者と言える。

2020年のGWを振り返る

思えば、昨年のGWは平成から令和への切り替わりがあり、高山でその時を迎えた。
今年は、外出自粛となり、家庭菜園と自宅でのゲームで終わった。
この時期はまだ期待できないが、釣りに出かけようかとも思ったが、人と接することがほとんど無いにも関わらず、テレビニュースでは自粛していない非常識な人達として扱われていたような気がする。
確かに、不要不急な外出ではないし、今釣りに行ったところで満足いく釣果はないのだからみんなに白い目で見られるのもイヤなので釣りには行かなかった。
多くの人が自宅でお金をなるべく使わないで過ごしたのではないだろうか。
連休の遊び疲れはないが、休み疲れはあったろう。
ウイルスとの戦いが長期戦になると言われ始めているが、2021年のGWはどうなっていることやら。