健康寿命を過ぎたら

終身雇用が当たり前の時代に、世の中の人は定年まで働いてその後の余生を年金で楽しめた。
子供が生活の面倒の大半を見てくれるので、年金はあくまでお小遣いとして使うことができたからだ。
当時でも、子供が親の面倒を見なければ、年金だけでの生活はゆとりには程遠いものだったと思う。
何を勘違いしたのか、世の中の景気を良くするために幅広く資材が必要なマイホームを取得させることに、皆が躍起になった。
おかげで、核家族という言葉が社会の教科書にも載るほどに日本の家庭は可能な限り最小単位で構成され、そのことこそが、自由でゆとりのある暮らしだと思われるようになった。
育てて貰ったけど、親は親で余生を閉じて欲しい。
自分たちは自分だけの生活を楽しみたいというのが、本音になったのだ。
社会的な構造なんて、個人で憂慮する人なんかいるわけがない。
健康寿命をとっくに過ぎて、子供にも迷惑だと思われながら、死ぬに死ねない老人たちのひとりに自分もいずれなるのだろう。
そんな惨めな親たちを見て、何故自分の老後のための資金を貯めることよりも金のかかる子供を持とうなんて考える人達がゴマンといる。
それを口にすることが憚られるから言わないだけだろう。
楽しく生きているなんて人もいるだろうが、老人たちの幸福度を調べてもらいたいものだ。

WBC開幕

普段あまり野球を見ないので、正直なところそれほど興味があるわけではないが、メジャーで活躍している選手が代表選手として参加しているのはすごい嬉しいことだ。
サッカーワールドカップが昨年あったが、こちらはほとんどが海外組の選手ばかりなのは、野球と比べると大きな違いがある。
海外チームが強いのかというと、必ずしもあてはまらないと思う。
ラグビーのワールドカップの日本代表に至っては、民族的に日本人である選手よりもそうでない選手が多い。
バスケットボールのワールドカップも日本開催で開かれ、海外組は3名の選手が代表入りすることはほぼ確実。
WBCは3大会ぶりの優勝を狙える顔ぶれが揃った。
大谷にボールをぶつけようかなどと言って叩かれまくった韓国戦は因縁試合とも呼ばれるが、実力が伯仲しているので見応えがある。
地上波で野球が見れるのは、少なくなった。
こんなイベントでも最初から最後まで見ることはしないだろうな。

陳謝の動画

ガーシー参議院議員が、リミットとされる3/8までに国会に出席しなかった。
陳謝の動画を送ったが、受取は拒否されたため、SNSでその動画を公開した。
視線が泳いでいたのは、どこかに原稿でも用意していたのだろう。
予め陳謝原稿が渡されていたのかは不明なので、この動画が本来国会で行われるはずだった陳謝の内容なのかどうかは定かでない。
何故、このタイミングでトルコに行かなければいけなかったのか。
トルコの大地震の被害状況を自らの目で確認して発信したい。
国会で陳謝することよりも大切なことがあるだろ?
とでも言いたいのか。
独善もここまでくると、憐れさを感じてしまう。
当選から今までの議員報酬は要らないというが、返金はできない。
これに対しては賞賛する声もあるようだが、党に渡してそこから先はどうなるのか不明。
選挙をするための費用は2022年の選挙で604億円の税金が投入されている。
当選者は248人なので、ひとりの議員を選ぶために使われた費用は2億4000万円になる。
選ばれたことを無駄にするようならば、2億4000万円返却しろよと思う。

ゼロサム

マクロではゼロサムとなるというのが、自分の考え方だ。
例えば、質量保存の法則とか、エネルギ保存の法則とかはまさにゼロサムの世界だ。
では、数値化できないものはどうだろうか。
幸福とかは人によって異なるだろう。
人類だけの幸福と不幸がゼロサムになるのか?
なるような気もするしならないような気もする。
無機物以外にも幸福と不幸の概念が存在するのだとすると、何となくゼロサムが成立する気もする。
大概の人間は生を受けただけで、大幅なプラスだろう。
生を失くす瞬間にゼロになるとは思わない。
それまでのプラスが死んだ瞬間に大きなマイナスを生じてプラマイゼロにはならないだろう。
生物の間でも、マイナスが大きなものも存在すれば、人間のように大きくプラスのものもいるだろう。
その人間同士でもプラスの大きさには差がある。
他人のプラスを、羨んだところで仕方が無い。
だが、そんなふうに割り切れないのが人間なんだよな。

新聞での年齢記載

先日、新聞での年齢記載が殆どないと書いたが何かルールがあるようだ。
スボーツ記事、議会など政治活動に関する記事では年齢を載せていないように見える。
ただ、立候補するための事務所開きなどでは候補者の年齢は記載されている。
紙面の都合などで、優先して伝えるべき情報が決まっていて、年齢を載せるかどうかを決めているのだろうか。

図書館予約システムにあればいいのにと思う機能

図書館で読みたい本を予約するとき、その時点で何件すでに予約がはいっているかがわかるようになっている。
蔵書の数と先行予約の件数から、随分待つ必要がありそうだとか、おおよその予測はできる。
だが、一旦予約が完了してしまうと、自分の順番がどのくらいまでに近付いてきたのかわからない。
予約ステータスにあと何人先行予約があるのかがわかればありがたいのだけれど。司書の方々がシステム保守しているわけではないだらうから、機能変更は予算的にも難しいか。

新聞に掲載される個人情報

新聞のお悔やみ欄と、子供が生まれたことをお知らせする欄がある。
高岡市はお悔やみ欄への名前の掲載人数は、富山市に次ぐ人数であることが多い。
だが、子供の出生はとても少ない。
個人情報なので掲載を嫌がる人が多いのかも知れないが、地域によってそれほど嫌がる人の割合に差があるのだろうか?
個人情報といえば、記事にのる人の年齢が記載されることがほとんどだったのが、今では年齢が記載されることは殆どない。
殆どないというが、例外が読者の投稿記事だ。
氏名と年齢がしっかりと掲載される。
いい加減なことを発信させないようにという抑止目的もあるのだろうか。
件の投稿記事だが、投稿者の平均年齢が高い。
未成年の方の投稿が掲載されることは極端に少ない。
投稿数自体も少ないのだろう。
採用率も高いのだろうか。もっと若い世代の声を届けてほしい。

日本の国民負担率

五公五民という言葉が巷で言われている。
実際はそこまでではないが、46.5%という高負担率には驚く。
え?そんなに税金や保険料は払ってないと思うかもしれないが、実際には消費税負担だけで10%支払っているし、厚生年金や健康保険も実際に支払っている金額のおよそ倍額が実際の負担金になるので、そのくらいの負担率になるのは嘘ではない。
では仮に、国民負担率をゼロにしようとしたらどうなるか。
公的サービスは無くなる。
公務員、政治家はボランティアがやることになる。
儲けのない鉄道、バスは全て廃止。
教育は裕福な人間が私費で受けるものになる。
そもそも、国の発行貨幣が無くなるので小さな社会の中で個別運用される、代替通貨もしくは、外貨で経済流通を賄うことになるだろう。
なので、国民負担率は必要なものなのだけれど何故ここまでの高負担でも日本国民の多くが飢餓で死ぬことがないのか。
人間が生きていくのに必要な最低限のお金以上に、日本人は収入を得ているからだという結論に至る。
だが、いつまでもこの状態が継続するわけではない。
いずれ、国民負担率がさらに高まり、可処分所得で生活が賄えなくなれば、飢餓で亡くなる人は増加していくことだろう。

春の果実準備

キウイフルーツの冬季追肥をした。
昨年は豊作だった。
豊作過ぎて、今だに残っている果実はしわくちゃになってきている。
摘果して大きな果実だけを残すにしても、分母となる花の数が少ないとうまくない。
赤系は今年は花の段階で摘んで、木を育てる。
春は間もなくだ。

タレント市議の県議転身

一昨年の高岡市議会議員選挙でトップ当選を果たしたタレントのおかんこと嶋川議員だが、今年の春の県議選に出馬することとなった。
市議ではできないことが多すぎるので県議に活動の場を移したいというのが、出馬の動機のようだが、正直なところ得票数はかなり減少するのではないかと思っている。
まかり間違って、高岡選挙区の県議が全員自民党候補になったら、流石にそれはまずい事態だと個人的には考える。
議会での討論が意味なくなってしまいそうで、恐ろしい。
もちろん他の選挙区での非自民県議がゼロになるわけではないが、既に絶対多数の政党である自民党。
もしも、地方への権限の移譲が進んだらどうなってしまうのか?
ハドメというのは必要なことなのに。