新幹線と飛行機

北陸新幹線が開通する前は、東京に仕事で向かうときには飛行機利用だった。
お客さんのところが、羽田から遠い場所だと、飛行機移動時間よりも時間をかけて羽田から移動する。
新幹線になってからは東京を起点に都内移動できるので、楽になった。
その新幹線車両が台風で車庫が浸水し、水に浸かってしまった。
北陸から東京への移動が制限される。
飛行機移動が増えるわけだが、新幹線ができてから本数が減り、機体も小さなものになっている。
便数の増加を依頼するのだろうが、羽田の滑走路は分刻みのスケジュール管理なのだから、割り込みができるかどうかは微妙だろう。
となると、上越新幹線の利用が増えるのか。
大企業の役員か複数人で移動する場合、交通手段は分散させる。
一人は電車で一人は飛行機とすることで、不意の事態が発生しても、どちらかの安全は確保される。
富山と東京を結ぶ交通手段としての飛行機と電車。メリットを見出して共存していかないと、いけないということだ。

被害が回避できました

秋の旅行は、本当なら3連休に行きたかった。
かんぽの予約が取れなくて、10月の第一週ならば空いていたので、そこにした。
結果的に、3連休だと台風19号が直撃。
旅行を強行すれば、災害に巻き込まれた可能性もある。
離れて暮す子供たちも被害には合わなかった。
自己中心的な考えではあるが、何はともあれ良かった。
被害については、発生を抑えるためにどうするか考える必要がある。

甚大な台風被害

台風19号は凄まじい被害を日本中に与えた。
これが米の収穫前だったら、間違いなく米不足になっただろう。
各地で河川が氾濫している。
行方不明者も多く出ている。
雨の被害が酷い。
この後から、風による被害状況があがってくることが予想される。
驚いたのは、首都の災害への強靭さだ。
山手線の内側には大きな河川が流れていない。
少なくとも河川の氾濫による浸水被害はないと言う事だ。
生活のための水路、旧上水と井戸の整備は、当時世界最大規模の都市だった江戸の凄さがわかる。
10/13の朝時点で自衛隊と消防による、河川周囲の孤立者の救助が行われている。
堤防決壊近辺は水の流れが強く、救助が開始されるのは暫く後になるだろう。
家の階上に避難している人達は、食料、水、トイレなど必要なものの確保はされているのだろうか。
浸水しているため、電気製品は使えない可能性が高い。
最終被害が明らかになるまでには、まだ時間がかかる。
明らかに異常気象だと思うのだが、台風のような単発的な災害では、そのような異常気象の原因に危機感を抱く人が少ないのは、そのようにコントロールされているからなのか、それとも我々が愚かだからなのか?

次男の個展

次男は芸大生の三年。
今年の夏休みに全国4箇所で個展を開いている。
最終地は大学のある金沢。
東京開催では長男が見に行ったようだ。
金沢開催は妻と二人で見に行くことに。
作品の頒布もしており、大阪の展示会で1枚は買い手がついたようだ。
個展開催はすべて、自費。
会場使用料も、宿も、交通費、搬送費諸々全て、お金がかかる。
交通費や宿泊費を安くあげているようだが、それでも相当の費用がかかっているようだ。
詳しくは聞かないが、大赤字だろう。
もちろん、プロでないのだから、黒字になるなど思っていないだろうが、それでもショックを受けているかもしれない。
芸術で生活できる人はほんの一握りに過ぎない。
当人は自分の将来を占う意味もこめての個展開催だったのかも知れない。
芸術家は努力でなれるものではない。
だが、努力無しでなれるものでもない。
自分の思うものを表現できるだけの技術力は努力で手に入れることができるが、何を表現するかは、芸術家の才能の賜物だろう。
残念ながら、自分には芸術的な素養がないことは、わかっている。
才能は遺伝ではないが、才能の素養を育てる環境は親に依存するものかも知れない。
自分で進める道ならば、自分で進めばいい。
親としてはそこまでしかできない。

諏訪大社

最初の会社員のときに、諏訪出身のヘビメタ好きの後輩がいた。
その時に、御柱祭には是非一度行って下さいと言われた。
残念ながら、行ったことはない。
今回、諏訪大社の本宮。春宮、秋宮とお参りに行った。
それぞれ、4本ずつの御柱があることを初めて知った。
御柱は社の四隅に配備されるので、1の柱、2の柱はわかり易い場所にあるが、3と4の柱はチョットわかりにくい場所にある。
地元ボランティアのような方に説明を受けなければ、気付かないままだったかも知れない。
戦国時代に建立された寺社仏閣は、方位学を重んじて、向きが決められていることが多い。
御柱は、その木を切り出して運び入れる方の鳥居が正門に当たるそうだ。
本社は大きな鳥居が二箇所あるが、八ヶ岳に向かう鳥居がそれに当たる。
駐車場の場所がある方が正門かと思ったが違っているそうだ。
こういう、情報はありがたい。
蛇足で、個人的な考えだが、大きな寺社仏閣は強大な戦国武将がいる場所で転封されていない時代に長い間その地を治めていたことが重要なのだと思っている。
諏訪大社は武田信玄の支配の下で、山梨の浅間神社や、諏訪大社が建立されたのだろう。
富山にもその地の豪族からなった大大名がいれば、おおきな寺社ができていたかも知れない。
そんなことを思った。

台風19号(ハギビス)

年々台風が強大になっていく。
幸いにも日本海側では風による甚大な被害を聞くことはすくない。
積雪に対応できる瓦屋根だったりすることも関係するのだろうか。
豪雨による浸水被害は稀に起きるが、災害級の事象は少ないと言える。
台風の強大化、これが温暖化の影響なのか。
台風は海水温が高いと、巨大化し、多くの水分を含んでくる。
海水温が高くなるのは、気温の上昇によるのだろうが、空気に比べて比熱の高い水の温度、すなわち海水温度がジワジワと上昇するのは恐ろしいことだ。
海水面が上昇すれば、陸地の面積は減る。
地表面積に対して減少する陸地の比率は少ないとしても、人類の生活域の減少は大きい。
国土が消失する国もある。
日本でも主要都市の海抜がマイナスになる比率は高いだろう。
海抜がマイナスになると、地下鉄の維持には莫大な費用がかかる。
交通インフラだけでない。
地下に埋設したインフラのどれだけが、塩害に耐えられるものなのか、全くの未知数なのではないか。
構造物も、内部の鉄骨の腐食が発生して崩壊する可能性が高くなる。
温暖化を止めるには、全世界での取り組みが必要だが、二酸化炭素排出上位の国で、取り組みに積極的な国はない。
大陸国家だから、水面上昇は国家的な驚異にはなり得ないからだろう。
水面上昇が止められないならば、せめてそうなっても大丈夫にするための見通しは立てておくべきだと思う。
実現が不可能だと言われる高精度の地震予測よりも有益な予算の使い道ではないか。

リンゴ直売

諏訪に旅行に行った。
リンゴを果樹園で購入。
富山では手に入りにくい品種を狙った。
事前調査ではシナノプッチと言う、小さな果実のものを購入したかった。
お土産用には、きれいな玉を。
家で食べる分には、B品を選んだ。
他にもすわっこ、シナノドルチェ、黄色の玉で、ほとんど数が無いという森の輝きという品種。
けつこうな量を購入したが、随分と安くてびっくり。
すべての品種の味見もできるし、良かった。
笠原果樹園は、オススメです。
詰め放題でクズのリンゴを1000円とかで売っているところも多いですが、試食提供しているリンゴが販売しているものと同じかどうかも怪しいので、購入するなら果樹園に行くことをオススメします。

ヤフーカーナビ

諏訪の旅行の初日、お昼に蕎麦を食べようとナビを使った。
車のナビとスマホのヤフーカーナビ。
向かったのは、諏訪のとんねるや。
お店のすぐ近くまで行ったところで、車のナビとヤフーカーナビで、違う場所を案内しようとする。
車のナビはしばらく地図を更新していないので、てっきりヤフーカーナビの方が正しいと思っていたが、実際には車のナビが正解。
意外な結果だった。
インターネットサービスのくせに、何で最新の地図データを使ってないのだ。
実はこのお店、火事を出している。
その後、店舗を移動したのだろう。
ヤフーの地図データは昔の店舗の場所。
車のナビは新しい店舗の場所。
グーグルのナビの方が良かったのか?

かんぽの宿諏訪

今年でなくなる。
施設の老朽化は隠せない。
GWに行ったかんぽの宿恵那が素晴らしかっただけに、少しガッカリ。
とにかく、宿までの道が狭いのにもビックリ。
大型バスが停まっていたのでそれなりの道もあるのだろうが、ナビが案内するルートは絶対にすれ違い不可能な道。
風呂も、床がヌルヌルして滑りやすい。
ただ、景色は素晴らしい。
諏訪湖を眼下に見下ろすことができる。
夕食は残念な感じ。
松茸が、釜飯、茶碗蒸し、すき焼きと3品に使われているが、香りがしない。
満腹にはなったが、満足度は低い。
朝食のビュッフェは卵焼きが美味しいとのことだった。
甘めの卵焼き。焼き立てが嬉しい。
結局、朝飯も満腹。
この施設、宿泊可能数も多くないようで、稼働率が高くなっても経営は厳しいだろう。
今年の12月での営業終了はさみしい。
ここで働いている人達は仕事が無くなる。
諏訪湖周囲の温泉宿は盛況のようだった。
観光産業、精密機器の企業。
両方が混在しているまち。
そして、伝統を支えて行く人たち。
観光農業もある。
多彩な魅力がある街だった。

定量評価の弊害

定量的な評価が重要なことは解っている。
だが、つまらない。
クリエイティブじゃない。
与えられた全量が明確化されていないと、評価できないとなったり、数値に対しての根拠を知らなくても評価してしまうこともある。
つまり、誰でもできる作業に落とし込んでコストの改善を行うことが目的になっていることが往々にしてあり、それが正当な評価かどうかなど考える余地がない。
渡されたバトンが間違っていようがそこに対して疑問を挟むことがない。
評価でだした結論が正しいかではなく、期待値に合致さえすれば合格となる。
例えば、この薬を24時間ごとにマウスに投与した場合病気による症状は無くなり致死率は0%であること。
この条件を満たせば良いかと言うとそうではない。
死なずにすんでも、重度障害があるかも知れない。
そのことに対する評価は別の項目として存在するとしても、この致死率評価が適切だと考える人はいないだろう。
定量評価が万能だという妄想から1番抜け出すことができないのは、カタログ値が大好きな日本人かも知れない。