言わんとしていることは、認めるべきは認め、拒むべきは拒むといったところか。
具体的なことは言わないので、有権者は自分の都合のよい解釈をする。
市民、県民、国民にとって必要なこと、有意義なことには是。
不利益なことは非。
いやいや、違うよ。
党の方針には是。
対立政党には非。
なので、政策に対する政治的考察など各個人政治家はする必要がない。
政治家に対して考察ができないというと、反論するだろう。
確かに、考察はできるが正しい考察かどうかは不明。
試験問題が出されて、考えて回答はできるが、それが正解なのかが問題で、答えが正解かどうかはすぐにはわからないところが政治家の回答のミソだ。
答え合わせされる頃には有権者は政治家がどんな答えを言ったか覚えてはいない。
まぁ有権者も是々非々を正しく行使してないのだから、ドッコイドッコイ。
迷惑メール対策
以前もやってはいたが、迷惑メールを何とかしたい。
本当ならば、dkimがパスしないメールなど受信したくない。
だが、意外と日本のまともな企業のメールマガジンでもdkim認証させていないものがある。
そんな企業は大概サイトも使いにくい。
クレジットカード利用明細を見るだけなのに、何段階も認証させたりしている。
そんな企業が提供するポイント決済なんか誰が使うの?
pythonでフィルタ予定だが、メールヘッダのdkim結果をヘッダから取り出す方法を試しながら実装することになる。
dkimだけでスパム扱いすると、そうでないメールも捨ててしまうことになる。
となると、subjectで判断するしかないが、なかなかに難しい。
とりあえずAmazonを語る奴だけ弾くことにして、それ以降に目立つスパムを弾くことにしよう。
増税
増税クソメガネなどというあだ名が付けられる岸田首相。
何故増税が必要なのか。
まず思いつくのは防衛費の確保。
次は公務員給与の引き上げ。
高齢化社会への対策としては、増税ではなく社会保険料で賄おうとしており、これは税金ではないというが、同じようなお金だと考える国民も多いだろう。
経済学者などにすれば、税と社会保険料は全く異なるもので、負担の仕方も異なると反論を受けるかもしれない。
税金は基本的に公助の実現のために使われる。
社会インフラ、公務員、補助金など。
公務員がどのくらいいるか。
およそ全国民の5%ほどが公務員だと考えれば良い。
つまり、20人に1人が公務員。
これを多いと考えるか少ないと考えるかは人によって異なるだろう。
それは正しい感覚で、自分が世話になる公務に携わる公務員は少いと感じることが多いだろうし、そうでない公務員は多いと感じることが多いだろう。
日本の人口は減少が続いていて、とりわけ労働人口の比率低下は著しい。
定年を引き上げたり、年金の受給開始年齢を引き上げたり、労働人口比率の低下を抑えるため、雇用側、労働者側の意識を変える施策を展開していると言えるだろう。
まず全国民は、人口が減少したことにより生活が不便になることはやむを得ないことだと認識するべきだ。
全ての社会インフラが公費で賄われているわけではない。
ライフラインと言われるインフラですら、水道以外は補助されているとはいえ民間企業が支えるインフラだ。
国民は税が公助のために使われるべきだということにもっと厳格にならないといけない。
紛争
イスラエルがハマスにより実効支配されているパレスチナのガザ地区の解放を理由にガザ地区に侵攻している。
この紛争でロシアとウクライナの戦争は最近ではニュースとして伝えられることが少なくなった。
これが日本だけの報道傾向なのか、世界的な報道傾向なのかはCSのワールドニュースを見ない限りはわからない。
だが、イスラエルはパレスチナ解放機構に対抗させるために、米国が軍事支援として、兵の訓練から武器供与までを行った経緯があるので、イスラエル軍によるガザ地区への侵攻は非難しない立場である。
となれば、米国の属国としか世界から見られていない日本もイスラエル軍の侵攻を批判することはない。
なので日本の報道はイスラエル軍が非人道的だと強く言わない。
だったら、イスラエル、ガザの報道は止めて、明らかに他国への侵略戦争であるロシアとウクライナの戦争を以前のように報道すればいいのにと、個人的には考えるわけだ。
ハマスによる実効支配により、非人道的な扱いを受けた人もいるだろうし、ハマス支援派で平和にガザ地区で生活していた人もいるだろう。
根底にあるのは、信仰する宗教の違いによる対立構造であり、他人が自分と異なる宗教を信仰するのは許さないと考える人同士の闘いなのだ。
日本のようにいくつもの宗教が共存して、宗教間での争いのない国は他にないわけではないが、信仰というのはセンシティブな問題なのだ。
かつてオウム真理教が宣戦布告したのは政権であり国家であった。
根底にあるのは宗教の倫理観の違いではなく、己を排除しようとする者たちとの争いだったわけだ。
戦国時代に浄土真宗が一向一揆を行い、己の天下布武に邪魔だったために宗教自体を排除しようとした武将もいる。
考えてみれば宗教に傾倒するのは、自分が不遇であると考えるからのような気がする。
熱烈な宗教信仰が存在しない今の日本は平和なのだ。
包丁研ぎ
Amazonで砥石セットをボチった。
国産メーカでこれだけ揃えると、ん万円。
中国産だと3000円チョイ。
ずっと使ってきたダイヤモンド砥石の番手が3000番だったので研ぎの途中で確認するためのマクレが道理で出にくいわけだ。
そもそも、出刃の研ぎ方が間違っていた。
出刃は片刃でオモテ側は刃に向けて傾斜があり、ウラ側はフラット。
出刃を両刃の研ぎ方で研いでいた。
両刃だと、包丁の両面を角度をつけて研ぐ。
片刃の場合はオモテを傾斜どおりに研いで、出たマクレを裏側から取る感じ。
その後、糸刃を付けるためにオモテを少し角度を付けて研ぐ。
これは、傾斜に合わせて研いだだけだと、刃の部分が薄くなり、魚の骨を断ち切る時に刃が欠けやすいため、刃の部分だけ、角度を落として厚くするためだそうだ。
間違って研いだせいで、傾斜に合わせて研いでもマクレがなかなか出ない。
力任せに研いでみても、ダメ。
ボロボロのケースを見て、番手が大きいことが判明したわけだ。
購入した製品は、砥石に記載された番手が怪しいとのレビューが多い。
仕上げ用に6000番手まで付属するが、反対側の2000番よりも粗いという声もある。
逆ならそれはそれで構わないが、仕上げ用の6000番だと言える粗さなのかが問題。
包丁を研ぐのが趣味なわけでなく、切れ味の復活が目的なので、仕上げ研ぎまでは今のところ求めていないので、中研ぎと粗研ぎの両方さえあれば良い。
仕上げ研ぎが必要だと思えば、国産の仕上げ研ぎの砥石を単品購入すれば良い。
砥石より、付属の台と面直し砥石が嬉しい。
喉元過ぎた
ビジネスクラス利用に関して、新しい事実もなければ訪米成果に関する正式なレポートもないので、すっかり世の中はこのことを話題にしなくなった。
人の噂も75日というが、さすが現代。
1月ももたずに、話題から消えてしまった感じだ。
レポートの公開も議会報告にするのならば、定例市議会は12月に開催されるので、そこでヒッソリと文句も言われず終わるのは目に見えている。
さらに、それが市民と市政という広報誌に載るのは早くても1月号。
9月の定例市議会の議会便りが11月に紙媒体で市民に届いているのだから、来年の1月の広報ではまさに終わったことになってしまっている。
ヤフー掲示板では、1番悪いのはこんな市長を選んだ市民であり、リコールもしないのだから民度が低いのだと言う人までいる。
これはかなり厳しい意見だ。
民度が低いというのは教育レベルが低く、モラルや一般的な常識の欠如があるという意味なので、まともな教育を受けた市民がとても少い市ということになる。
市民にしても、ひとりあたりの負担がそれほど大きくないと感じているだろうし、この訪米のためにゴミ袋を倍の価格にするとかそんなこともないので、人に尋ねられればケシカランと言うが、他に市長に相応しい人もいないのでまぁ良しとする人が大半。
そんな市民をうまくあしらうのはとても簡単なことなのだろうな。
こんな市民は民度が却って高いのじゃない?
高岡市が財政破綻しないようにするのは、市民の力だと思っているからに違いない。
少しくらい役人が無駄金を、使っても気にしないのさ。
私は違うけどね。
2023年20回目の釣行
最近の釣果の食べ方はフライとか干物が多かったので、刺身がいいなと妻からのリクエスト。
サンバソウが釣れないかと、氷見漁港に行ったが、海面にうっすら油が漂っていて、ラインがすぐに汚くなる。
リールにも油が付いて気持ち悪い。
サンバソウどころか、キスのあたりすら無い。
足下の護岸際でもイトヒキハゼとフグ、小型のカサゴ。
根掛かりも酷く、1時間粘ったが移動。
先週の太田マリーナにするか、国分にするか悩み、結局太田へ。
まずはサーフから狙うが、今回は砂イソメではなくアオイソメ。
針に対して餌が太い。
だが、それ以前にあたらない。
普段なら狙わないどん詰まりの浅瀬で小気味よいキスのアタリはでるが、型は小さい。
数はそこそこいけそうだが、楽しくない。
小突堤に移動。
先週、釣れたキスをくれた常連のオジサンが今日は奥様と二人で来ている。
パターンが変わりましたか?と尋ねると、変わったとのこと。
さて、キスはどこにいる?
去年落ちギスが爆釣したくらいのところにキャストするが、弱々しい小さなあたりしかない。
先端が空いているので、船道を狙うがアタリは弱々しいここでもひったくるようなアタリを出してくれる落ちギスはいない。
散々粘るが、小突堤では結局2匹だけ追加。
サーフに戻るが、いかんせんピンギスしか来ない。ワカサギサイズはリリースして15匹確保で終了。
今年はキスのポイントはかなり絞られていて、正直なところ良い思いはできなかった。
いよいよ来週は今年の最終戦になる?
能登島おうた民宿からのカセ釣り。
尺アジとカワハギの両狙いだが、どうなるだろうか。
世知辛いのかまともになったのか
IT業界でない人も、もしかすると聞いたことがあるかもしれない。
Javaという言語がある。
これを使って作ったプログラムはJavaのライブラリという、プログラムの共通処理が詰め込まれたライブラリが存在する環境で動作する。
元々、新しい言語というのはライブラリも含めて誰でも使って良いフリーソフトとして提供されることが多い。
今では歴史のあるJavaだが、これを使って開発する人がいなければ世の中には普及しない。
オラクルはJavaのライブラリや開発キットを提供するベンダーの1つなのだが、商用利用する場合にはライブラリの使用ライセンスが必要になっている。
つまり、オラクルのJavaのライブラリを使って開発するなら金を払えということだ。
一方で無料で商用利用も可能なJavaのライブラリも存在し、こちらはopenJDKと呼ばれる。
どちらも動作は同じだが、商用ライセンスがあるものは、当然ながら不具合があった場合のサポートが行われる。
フリーソフトは対応されないかと言うと、サポートに時間がかかるがいずれ不具合対応はされる。
無料だったとは言え、それを提供するのに費用がかからない訳では無い。
つまり、コストをベンダーが負担していたことになる。
オラクルといえば、フリーソフトのデータベースであるMysqlを買収した。
こちらはまだフリーソフトとして提供されているが、買収当時はこれでMysqlは無料では使えなくなると騒がれた。
そんなの関係ないと思われるかも知れないが、Mysqlのシェアは高く、身近なところではCMSのデータベースによく使われているので、これが無料でなくなると、セキュリティに問題があっても最新にバージョンアップできないなんてことにもなりかねない。
お金をかけて作ったものを無料提供することがそもそも間違っているという考え方もできるので、オラクルの方針変更を世知辛いと言うのは早計かも知れないが、元々有志が手弁当で開発したものだけにそれに対して後から金を取るというのも何だかモヤッとする。
牛刀
文化包丁から牛刀に切り替えた。
牛刀と聞くと、肉切り包丁のように思えるが、牛刀はオールマイティな包丁。
刃が薄いので、気を付けないと刃が欠けてしまうため、文化包丁よりも上級者向けの包丁と言える。
包丁は使っていると当然ながら切れ味が悪くなる。
研げば良いのだが、これがなかなかに難しい。
文化包丁は妻が研いでいるが、出刃は自分が研ぐ。
ダイヤモンド砥石を使っているが、これにも寿命があるようだ。
アルミ板に工業ダイヤモンドを焼付したものだが、包丁を研ぐとそれが剥がれていく。
切れ味を戻すために、ゴシゴシ研ぐとダイヤモンドも剥がれていく。
どうやら寿命がきたようでなかなか研いだ包丁がめくれにならない。
本物の砥石はメンテナンスも必要なのだが、どうしようか悩むところ。
研ぎ方をチャンとすれば、砥石も無駄に削れてしまわない。
道具は正しく使わないとね。
請願と陳情
どちらも、行政に対して何かを改善してほしいとか、お願いをすること。
だが、この2つには大きな違いがある。
請願は議員を通じてのお願いであり、陳情は議員を通さずに直接行政にお願いする。
どちらも、同じお願いだけれど何故手続きに違いがあるのか。
おそらく建前としては、あなた方が選んだ議員を通じて役所への依頼を行ってくれないと、お願い事項が渋滞してしまうでしょ。そんなに処理できないよということ。
一般市民が直接市役所に対して何かをお願いするということはなかなか無い。
よくあるのは、家の前の市道のアスファルトが陥没しているので直して欲しいとか、街灯が切れてしまっているとかそんなことだろう。
大概は班長さんに言ったり、町内会長さんに言ったりするので、直接市役所にお願いすることはあまりない。
班長さんは町内会長に報告して、町内会長が市役所に依頼したり、直接の依頼ができないような道路補修とかは知り合いの市議会議員にお願いする。
正式には議員は請願書を作成して正式に行政に依頼するのだが、そうなると決裁やら何やらでやたらと時間がかかってしまう。
議員さんは、直接担当課に行ってこんなふうだから早く対応してくれと依頼する。
同じような依頼が重なっていれば、声の大きい議員の依頼が優先されることは想像に難くない。
声の大きい議員というのは、当選回数が多かったり、議会の役職経験者であったりするわけだ。
議会内で発言力を持つためには、上位組織に対して県議選や国会議員選挙での集票力が大きくないといけない。
上から市長に対して依頼という名の指示ができる国会議員にお願いできるかにかかってくる。
なので、当選するにしてもどれだけ得票できたのかで、その人に投票する人達の市政へのお願いが早くなったり後回しするようになる。
と、有権者は考えている。
実際どうなのかは議員や、市役所職員しかわからないことなのだが、地域一丸となって地元の議員を上位で当選させようとするのではないかと勘ぐってしまう。
では、陳情というのは全く無視されるのか?
例えば、高岡市ではコミュニティバスが財政赤字削減のために廃止された。
もちろん、これに対する復活陳情は数多くあげられているだろう。
だが、この陳情が今のところ叶えられることはない。
議員にお願いしているケースもあるだろうが、議員がこれを請願書として提出しているかと言うとこれまた微妙だ。
コミュニティバスの廃止は議会で承認した決議事項なのだから、復活をお願いするのは筋違いな話になると考える向きもある。
カッコよく言えば、筋を通していることにはなるが、おそらく若い世代にすれば誤りを修正できない古いシステムの守護者にしか映らないだろう。
陳情が通らないから請願が必要だけど、それがとおるかどうかは議員次第なんて洒落になってない。
まずは請願制度を廃止して、市民の依頼窓口を1本化しないといけないと思うのは自分だけだろうか。
請願制度と陳情制度の二本立ては、受験制度で誰もが受けられる一般入試ではまず合格することは無くて、推薦入試でしか合格の可能性がないことと同じようなことだ。
さらに推薦してもらうための条件が議員と知り合いで選挙協力していることなんてことは、日本中どこでも起きていることかも知れない。