梅雨被害

大雨による被害がひどい。
熱海の土石流。
台風による豪雨とかではなく、梅雨前線による雨がもたらした被害だ。
気候はもはや亜熱帯なのだが、地盤、建造物などは温帯仕様。
山の保水力とか、言葉では知っている人もいるが、実際の危機管理は完全な行政任せだ。
確かに、江戸時代などの河川に対する治水工事は幕府や藩が行っていた。
個人がどうこうできるレベルの問題でもないのだから、ある意味当然だ。
しかし、これらの治水工事には藩の収入を守り、人民の流出を防ぐためという明確な目的があったであろうことも否めない。
では、現代の行政に照らした場合はどうだろうか。
洪水などの被害にあっても、農業などへのダメージで税収が壊滅的に減少するわけでもない。
ある意味、土地に縛られている市民が簡単にいなくなる訳もないのだから、地方税が減るわけでもない。
簡単に大雨被害が発生して、財産が失われるとなった時に、人は住む場所をどうやって選ぶだろう。
廃藩置県ではないが、人口が減少していく中で行政区分の見直しは必須になるだろう。
だが、その見直しの決定権を持つ人に既得権益があるのだから、物事は簡単には進まない。

トヨタの作る街

静岡にトヨタが街を作っている。
コマーシャルでも流れていて、ふーんと思うだけだった。
もしかして、この街は住む人を選ぶ未来の方舟なのかもしれないと思った。
仮に、理想的な街ができたとする。
そこに住めるのは、50万人。
住むための条件は厳しく定められていて、住居者の募集などない。
空きができたら、それが広報され、一定以上の条件を満たした人だけが移住を認められる。
町を良くするためには、優秀な人が暮らさないと無理だろう。

粛清は自然の摂理

選挙の後には、しこりを持たずに手を携えてなんてことを言うけど、どうなんだ。
しこりを持つのは負けた側で、勝った方が大きなしこりを持つことは考えにくい気がする。
もちろん、戦っている最中、勝った方に負けた方がさまざまな嫌がらせ、誹謗中傷をしていており、勝った方は実は敗戦濃厚からの逆転だとすれば、勝った方は負けた方から今までのことは水に流しましょうと言われても、お前が言うなと思うだろう。
もしも、明確な方向性を持って運営を進めたいのなら、まずは敗者側の粛清が必要なのは自明の理。
例えば、戦国武将が争い敗者とそれを支持したものたちの粛清をしなかったら、いつまでたっても小競り合いばかりが続いて江戸幕府はできなかったろうし、明治維新も起きなかったろう。
結果的に日本は欧米列強に植民地化されて、国民は貧しいスラムに押し込められていたかも知れない。
負けた方が粛清されないならば、勝つまで勝負を挑めば良い。
一般の人から、惨めだとか見苦しいとか思われようが勝負を仕掛けて、誹謗中傷、嫌がらせをすれば良いのだ。
勝ち馬に乗らなかった者が勝者と同じ処遇のまま、シコリを抱えてのうのうと大きな口を叩くのが、ワンチームだとは思えない。
そんな議員を粛清するための権限が無いのは表向きの話だけにしてほしい。
本当に高岡を前に進めるなら、来る10月の市議選で反対に回った対立候補の対抗馬を立てて、進めるべき市政を実現できるようにして欲しい。
是々非々など口先ばかりの職業議員を減らすべきで、自分の主張を共に実現すべく行動できる議員以外は要らない。
議員活動での視察報告でまるきり同じことしか書けない議員しかいないようでは、議論など起こりようもない。
具体施策の1つとして議員定数削減をまずは推し進めていくことが重要だろう。
旧態然とした産業界が今回の市長選で当選者の支援に回らなかったことは、リソースの選択と集中が必要な状況では、新たな産業への支援を強めたい自分にとっては願ったり叶ったりだと言い切るくらい、強い市長であって欲しい。

早々に当確が出たが

開票率がゼロ%の時点で、最も若い候補者に当確が出た。
事前の選挙への関心度は、93%もの市民がある、どちらかと言えばあると答えていたが、投票率は58%ほどで富山県知事選とほぼ変わらない結果となった。
期日前投票の数は増加したが、最終的に一票を投じたのは6割にも満たない人しか、市長が誰になろうと興味がないということだ。
漏れ聞こえた感じでは93%の関心というのは信じがたい比率で、関心がないと答えることへの抵抗感が関心があると答えさせているだけで、投票率58%が本当に関心のある割合と捉えて良いだろう。
市民の4割は構造赤字があろうが、市民の減少率が県内で1番高かろうが、自分が生きている間さえ何とかなれば、どうなろうと構わないし、誰が市長になろうが何も変わらないと諦めている。
何とも残念な選挙であり、新しい高岡を作るのは前途多難だ。

そんなものなの?

保守分裂選挙となった高岡市長選挙。
個人的には、40億の構造的赤字を5年間で解消するのを、累積赤字の解消みたいに広報するのにウンザリしていたので、改革前にたれ流していた赤字と未だにたれ流している赤字の累積金額を発表しろよと思っているので、首長が変革を起こす可能性にはとても期待してしまう。
新聞には93%の人が関心を持っていると書かれていた。
だが、意外とこの選挙に対する期待値というか、興味が低いことがわかった。
まず、候補者が誰だか知らないとか言う人がいる。
地方自治が財政破綻して回復目処がなくなったら瀕死の町としてどうなるのかを想像できていない。
無料の行政サービスはほぼ無くなる。
市の予算での公共工事は激減する。
市の職員は削減される。
市が運営している事業の公共料金は高くなる。
地方税が上がる。
財政破綻した市から出ていける人はまだ良いだろう。
財政破綻した町に住みたい人などいないので、固定資産は処分不可になり、ずっと固定資産税だけを払い続けなければいけなくなる。
高齢者だけが住み、不便で、全てが割高、医療機関も、買物できる場所もない、死んだら火葬費用すらバカ高くて支払えないなんてことにもなりかねないと想像することすらできないのだろう。
皆が政治に興味を持つなんてことはあり得ないと思っている。
どんなに悪い生活になったとしても、人は変われないし、変わらない。
今の位置から動いても良くならないと考える。
町に感謝することもなければ、あわよくば資産価値が高まらないかとかその程度の期待だけで、誰かが抜け駆けしないかだけに目を光らせながら、声の大きな人に合わせて口パクで話す。
そんな烏合の人たちを無視できて、個人としての価値が認められ、高められる町ができれば、人口総数か減少したとしても本当に優秀な人材が集まるのだけれど。
年齢に関係なく、優秀な人が集い、僅かな人数で税収を増やし、費用がかかっても一流を手に入れることができる町というのも、1つのコンセプトだと思うのだけれど、皆で手を繋いでいればどこに向かおうと怖くないというのが大多数であり、その意志が反映されるのが種の原理なんだね。

国内コロナ感染者数80万人

増加ペースはかなり低くなっている。
緊急事態宣言とか色々言ってはいるが、いっときの増加から見れば、落ち着いている状況と言えよう。
世界を見れば、インドが感染者数3000万人を超えた。
米国とインドがこの大台なのだけれど、米国の増加ペースは明らかに鈍化していて、インドの伸びがすごい。
変異株もインドの名前は付かないものの、インドのイメージが刷り込まれる。
変異株に対するワクチンの効果がどうなのかとか、まだまだコロナは終息しない。
収束傾向にはあるのだから、インフルエンザのように、今年のコロナウイルスは何とか型なので、予防接種しましょうとなれば少しは良いのだが。

あっけないほどに

少なくとも、日本ではある程度正確な記録が残っている範囲内であっけないほどに今までの慣例というか、常識が変化したことが2回ある。
ひとつは、明治維新で、もうひとつは太平洋戦争の終結だ。
政治家はイメージしやすい、幕末における維新の立役者を自分に重ねようとする。
武士のヒエラルキーは既に大きく変化していたが、少なくとも幕府が無くなることを多くの人は想像していなかったし、結局は平等を語る新たな権力抗争の勝者の座を求めるだけの変革だったと言えないことも無い。
実際のところ、欧米列強に植民地化されないように起きた革命と捉えている教科書があるのかしらと思ってしまう。
同様に外力により、変化せざる得ない状況となったのが、太平洋戦争の敗北だ。
結果的に核兵器という切り札を実戦投入できることを世界にアピールできた国が、世界の実質的な覇権を持つという、揺るぎない歴史的事実と、理想的な敗戦国の制御のための実験台になったのが日本なのかも知れない。
日本の国家運営は中央集権だ。
というか、東京、首都圏という巨大な城下町で経済と政治を運営している。
若者が、地方を離れて大都市に集中するのは、より良い魅力的な環境を求める人間の本能であり、地方を魅力的にするためには、中央集権を破壊するしかない。
生物の本能には完全平和が実現することなどありえなく、結局人は短い人生を慎ましく終えることを望む。
今回の地方の首長選挙は、メンツを背負った出来レース公認候補が勝てるのかということに尽きるのだけれど、地方選挙とは言え、自民党以外の支持を得て戦おうとする対立候補者は弱小豪族が藁にもすがる思いで他党に応援を求めたのか、政治的に目指すところが同じだから連携したのか、ハッキリしない。
正直なところ、若い対立候補が勝つだろうと予想していたが、他の党との連携が自民王国での選挙でどう働くか考えが及ばないのならば、首長に相応しいとは言えない。

もう、すごいね

前富山市長と現県知事を犬と犬の飼い主に見立てたビラ的なものを配布した県会議員に対して、前富山市長が名誉毀損で訴えていた。
それが、告訴を取り下げた。
理由はよく分からないが、告訴する意味が無くなったからと、テレビニュースで言っていた。
訴えられていた県会議員の方は、何故告訴したのか話を聞きたかったとコメントしていた。
つまり、この県会議員は人を犬呼ばわりしても全く問題無いと考えているわけで、自分の顔写真と犬の体が合成されたビラが配られて、何とか犬飼議員とか呼ばれても気にしない。むしろどうしてそう呼んでくれないの?くらいの勢いなのかもしれない。
この犬飼議員の常識はどうなっているのだ。
面白い。

リールの軸受

機械設計だとかそんなものは全く不得手なのだが、リールのチューニングで樹脂でできた軸受をベアリングにすることで回転性能の向上を図るというのがある。
樹脂製軸受に金属シャフトが通った状態で、シャフトを回転させた時に、樹脂製軸受はシャフトの回転に合わせて同じ方向に回転するわけではない。
軸受とシャフトの間の摩擦係数により、回転抵抗がどれだけ起きるかが決まり、シャフトの回転性能が決まる。
樹脂製の軸受をベアリングにしたらどうなるのか。
ベアリングはグリスを脱脂してオイルを差すことでベアリング自体の回転抵抗を減らしましょうというのが定番。
だが、シャフトはベアリングの内径に対してほんの僅かながら細く、ベアリングの内輪とシャフトが全く同じ回転をするわけではないと思っている。
シャフトは空転しようとするが、内輪とシャフトの摩擦により、内輪も回転しようとする。
その回転をより滑らかにするためにベアリングをどれだけ抵抗無く回転させれば良いのかとなると、グリスを脱脂した効果というのはどれだけあるのだろう。
ベイトリールの場合、スプールが回転して糸が放出される。
糸が出る方向はスプールの回転軸に対して、直角に一方向なので、スプールシャフトは回転と同時に軸受に回転以外の力がかかる。
樹脂製の軸受よりも、金属ベアリングのほうが、軸受が変形する力に対する耐力は大きい。
軸受自体、真円に近い形状を維持できるほうが、シャフトの回転抵抗は均一化されるのでそちらのメリットもあるわけだ。
実際に樹脂製の軸受と金属ベアリングの軸受でどの程度回転に差が出るのかは実際に試してみないとわからない。
しかし、実際の使用では単なる回転運動でなく、一方向に圧力をかけながらの回転運動になる。
ベアリングの内輪とシャフト自体の摩擦係数もオイルやグリスで減らしつつ、変形により生じる抵抗が無視できるようになってどれだけ差が出るのかは実際に使ってみないとわからないってことだ。